ビルの10階からはどんな風景が見えているのか?:『「上から目線」の構造』


 モノを見るとき、ぼくたちはスキーム(枠組み)というものを使ってます。地元のヤマダ電機より価格.comのほうが お買い得トクに「見える」のは、損得や価格というスキームを使ったからこそ。
 おなじように、上から目線に敏感な人は、上下というスキームを採用しているからだと著者は分析しています。


「上から目線」の構造 日経プレミアシリーズ

「上から目線」の構造 日経プレミアシリーズ


 これは能力や知識といったレベルの違いではなく、単純に「上下」という位置関係、構図だけというのがポイントです。アドバイスの価値や意図にはなかなか目が行かず、「上」というだけで拒否してしまう人々もいるそうです。
 現代の日本は「すべてをそのまま包み込み、個性や能力に関係なく一切平等に扱」おうとする母性原理によって成立しているそうです。
 どれだけ頭が良くてもみんなと一緒に進級していき、競争によるふるい落としはしない。また、大学入試には両親が付き添い、就活もサポートする。そうして大人たちに甘やかされて育ってきた子どもたちには、父性(原理)による上から目線のアドバイスは強烈すぎ、拒絶してしまう。
 この理屈は理解できるんですけど、なんか「甘やかされて育ってきた」という言い回しにはすごくイヤ〜な感じがします。そうした教育システムや原理をいままで採用し、子どもを育ててきた大人たちの責任が不問にされている感じがするからです。
 それはともかく。


 そもそもアドバイスというものは、知ってる者から知らない者へ贈る言葉だから、構造的に「上から目線」になることは避けようがありません。上下という構図にだけ注目して、「それは上から目線だ!」といえば、「その通り!」としか言うほかないと思います。
 しかし、アドバイスは役に立ちます。モノを見るためにはスキーマを使う必要があり、自分の持っているスキーマ以上のものは見えないのだから、そこにはどうしても見えるものの限界がある。「自分という枠組み」の限界を突破するためには、他者の存在(アドバイス)が必要になります。
 著者は視点の限界をビルの高さに喩(たと)えます。自分が住んでいる2階からは近所の家が見える。10階に住んでいる人が眺めている世界では、その地域で生活している人びとの姿が見えている高さが違うから、当然見えているものもちがう。2階の住人は、上の階から見える景色を教えてもらうことによって、徐々に上の階へ引っ越していくことができる。
 このアナロジーに僕は賛成なんです。そのほうが圧倒的にトクだから。
 ただ、好意によるアドバイスとはいえ、それはいまの自分を否定されることでもあるんですよね。そこらへんが「それって上から目線だ!」と拒みたくなる理由でもありそうです。今の安定している自分をぐらぐらっと揺るがす言葉だから。たとえ尊敬している人からのアドバイスですら、「いやおっしゃる通りだと思うんですが・・・、でもッ!」と反論したくなってしまうのは、そんな理由があるんだと思います。いや、このあいだ経験したものでして(笑)
 プライドはだれもが持っているし、ゼロにすることはできません。だから、どれだけゼロに近づけられるか、どれだけ努力して素直になれるか、ここがポイントなんじゃないかな。
 上から目線のアドバイスを拒否したくなる人はどうしたらいいのか、いまのぼくは解答を持ち合わせていませんが、素直に人の話を聞け入れたほうがトクだということは確かだと思います。いや、ほんとに。