日記→『仮面キャラがいつしか地になる』

本音で語り合うことは良いことなのか。
この本音論について、仲正昌樹氏がおもしろいことを言っている。

しかし、「仮面」を脱いで「本音」で生きるのは、そんなに”すばらしい”
ことなのだろうか。常識的なことを言うようだが、筆者は、「本音がいい」
というのには限度があると思う。(…)筆者が「この本を書いた動機はもっ
と有名になって、偉そうな顔をしたいからである」というようなタイプの”本
音”をたらたらと書き連ねていったら、すぐに関心を失うだろう。良くてもせ
いぜい十ページで興ざめしてしまうだろう。(『「不自由」論』)


これを読んである我が意を得る思いがした。
同時にある体験を思い出した。
3年程まえに映画学校に通っていたときのこと。
授業後に校舎からすぐ近くの居酒屋で飲み会が開催されることになった。
その席にはクラスメイトの美しい女性たちも参加していて、ひとりこの飲み
会を開いた幹事に感謝しつつ、あぁ幸せとほっこりしながら酒を飲んでいた。
すると突然私の周りにいた女の子らに向かって下ネタを振ってくる輩がいた。


「ふ。おいおい。この子たちが、そんな下品な話をするわけないだろ」。
女心を知らない話の振り手(笑)である友人に、なかば呆れながら侮蔑の眼
差しを差し上げようとしたその刹那、それまでおしとやかに振る舞っていた
彼女らは喜々として「あ、それはね」と「本音トーク」に参戦し始めたので
ある。
「わたしわぁ、◯◯してもらうと気持ちいいかな。でも、それやってなんて
恥ずかしくていえないのよねぇ。◯◯君って、そういった時の女の子の気持
ちに気づけるひと?」。


ん。何が起きたんだ。
事態が飲み込めない。
当然始まったディープすぎる会話についていけずおろおろしている私を余所
に、当事者らは加熱し腹をどんどん割ってって話していく。そして、冷静さ
を取り戻し、その異様な光景を冷ややかな目で見始めていた私に彼女らは非
難の目をみたのだろう。自らを清潔なポジションに身を置く私を話の渦中へ
ぐいぐい誘い込もう引きずり込もうとする。



「ねぇ。ところであなたのところはどんなプレイしてるの」。



これは誇張でも作り話でもなく、ほんとの話である。質問をしてきた子とは、
クラスメイトではあったが、それほど言葉を交わしたことのある間柄でもな
かった。っていうか、ほぼ初対面。だからビビったわけです。そして、とて
もそのような場で性的傾向を公言する気にもなれなかったわけです。
では、なぜ公の場ではディープな下ネタに参加する気になれなかったのか。
それは対人用に被っている仮面(ペルソナ)を脱がなきゃいけなくなるから
だと(後付けだけど)思う。


私たちは100%本音の発言をしていたら生きてはいけない。
「おまえ、ほんと太ったよな。もうちょっとダイエットしろよ。その腹、ま
じでヤバいよ」。
この手の「本音」を口にすべきではないことを我々は知っている。
まず相手の自尊心を傷つけることになるし、指摘してもそれが解決への助言
となることは万に一つもないことを経験上知っているからである。その上、
悪くすると返り討ちにあうこともまた知っている。


他人といがみ合うように向き合い続けるような24時間サバイバル状態では、
落ち着いて暮らせない。とてもじゃないが気がやすまらない。
だから、通常理性とよんでいる力でもって、「ちょっと恰幅がよくなりまし
たね」などと大人の発言をしたりする。いやま、そんな言い回しではないだ
ろうけどさ。たとえばの話、そーいったやんわりした話し方をするというこ
とですよ。
いずれにしろ、(本音と嘘の割合(←これも厳密に考えれば難しい話だ)に
過多はあるにせよ)まるっきり本音でトークし続けることはできない。

各人が他者と共存するために被っている「仮面」を剥いでいけば、直視す
るに耐えないものがどんどん出てくる。我々の”人間性”は落ちるところまで
落ちていく。否、どこまで落ちていくかわからないというべきだろう。限度
を知らない「本音トーク」には、我々がようやく身に着けた「仮面=ペルソ
ナ=人格」を破壊して、無限の野蛮さを到来させてしまう危険がある。(同
書)


われわれは己の内に潜む邪悪なものを自覚しているからこそ、意図的に仮面
を被ることによって覆い隠している。
すると不思議なことがおこりはじめる。

何とかもっともらしい「仮面」を被ろうと苦心しているうちに、それが次
第に自分の本当の顔(本音)に密着してきて、自分自身にとっても他人の目
から見ても、本音と仮面の区別がつかなくなるものである。(…)必至にな
って「仮面」をかぶり続けようとしているからこそ、「人」と「人」の「間」
に多用性が生まれ、「人間らしい」活動が可能になるのである。(同書)


つねに「仮面」を被って振る舞っていると、いつのまにか「仮面」キャラが
地なのか作りモノなのか分からなくなってきて、それが人間性というものを
形作る。という理屈が面白く、経験とも合致するように思えたので、ここに
忘れぬことなきよう大書しておくのである。


「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)

「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 (ちくま新書)