資本主義は差異を食って生きている

岩井克人さんの『資本主義から市民主義へ』を読む。
おもしろい。

デ・ファクト・スタンダードというのは直訳すれば「事実上の標準」ですが、「あるモノ
が標準として使われているのは、それが標準として使われているという事実以外にはなん
の理由もない」ということです。
(……)たとえば卑近な例で言えば、英語ですね。英語はいまや国際語になってしまっ
た。なぜかといえば、フランス語やドイツ語より優れているからではなく、多くの人に使
われているから多くの人が使うようになったというにすぎない。
(……)このデ・ファクト・スタンダードが全世界を覆っていくということ、これは興味
深い事実です。資本主義は差異を食って生きているわけで、どんどん食っていくわけだか
ら、それは逆に言えば、差異を見つけて均してゆく、世界を均一化することで生きている
ということでもある。(『資本主義から市民主義へ』、62-63頁)


これは卓見だね。
資本主義は差異を「食って」いく。
物理学の法則でエントロピー増大の法則ってのがあるけど、まさに世界は無秩序に向かっ
て運動している。
うん。これじゃ、わかりづらいな。
もっと卑近な例でいえば、じぶんの部屋なんかがまさにそう。
コンビニ弁当箱や、ビールの缶、自然にたまるチリ、ホコリ。週末に一生懸命丁寧に掃除
しても、1週間もすればマイルームはもう無秩序状態になってる。で、資本主義下では、
この無秩序(=差異)が求められる。みんながあつまってくる。というのも、他と異なっ
ていることで利潤が生じるから。
市場では既存のものから逸脱するために新しいアイデアを必要とする。ほかの商品と似て
いては、新たに作られる意味がないのだ。類似品と異なってこそ意味をなし価値をなす
(これは人でもおなじこと)。
iPhoneのようなケータイ+アプリ(のカスタマイズ性の高さ)+iPodという新しいケータ
イが市場に投入されたのも、秩序からの逸脱がねらいだろう。
イノベーションの背景はいつだってそうだ。
しかし資本主義下ではすぐれた商品が登場すると、かならず模倣品ないしは類似品が出回
ってしまう。iPhoneのアイデアをパクったとしか思えないケータイの出現とかね。
こうして資本主義は似たような商品がどんどん作られる必然的秩序(モノの均一化)へと
向かおうとする。が、人は同質化しようとするその圧力から意識的に無秩序(差異)を創
造することで回避しようとする。
秩序と無秩序カオスの攻防。
それが「差異」を「食って」いく資本主義の必然的帰結であり性質である、と。
なるほどねー。


さて、今夜はクリスマスですね。
21時すぎにこんな文章をアップしているワタシなんかには、まったく縁のない祭りなん
ですけども、どこをみてもクリスマスの記号がいっぱいなんで、さすがに影響うけちゃい
ます。ちょっと乗っかってみようかな、みたいな。
おい、弱ってんのか、オレ。
ま、商業戦略だなんだって一人でひねくれてても退屈なんで、ファミマでケーキとフライ
ドチキンとシャンメリーでも買ってきて、ツタヤで『バッド・サンタ』を借りこようかな。
うん。じつに日本的な祝いかた(笑)。
しかし地上波はしんどいことやってますね。
どこの局も、それも長時間。
とりわけ目についたのは、芸能人が自然から採ってきた食材だけをつかって調理し食事す
るという光景を4時間35分も流す番組。
あれは人のあたまをバカにしたいの?>黄金伝説。


資本主義から市民主義へ

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