記憶力いついての考察

 記憶力のよい人がいる。

 記憶とは、関連性を持たせることがキーであるから、
例えばジョニー・デップという俳優を一人覚えるより、
「パイレーツカリビアン」だとか「ショコラ」「・・・」
に出ていた俳優さんといういう風にセットにして覚えた方が、
覚えやすかったりする。

 記憶とは関連性であるといえるかもしれない。
しかし、どうもそれだけでは気がする。

 というのも、そういった関連付け(脳科学的には連合というらしい。)
をしているだけでは、記憶を引き出すことができないことがあるから。

 「パイレーツ〜」とか「ショコラ」とかに出ていた、
あの超人気のある俳優さんの名前、なんていったっけ?

 ジョニーデップが出てこなかったことはないけど、ベン・アフレック
しょっちゅう出てこないし、ひどいときにはモーガン・フリーマン
名前さえ出てこなかったりする。

 これはなぜ起こるのか?

 1つには、名前なんか覚えて置かなくても、ネットで検索できるから
いいやという胡坐(あぐら)をかいた態度にある。

 脳は電気回路だそうだが、細胞間のやりとりが行われていないと、
回路が先細り、上手く思い出せなくなるらしい。

 そして、引き出す(=アウトプット)を面倒くさがって怠ったりするのも、
原因の一つだと思う。

 あの俳優なんていったっけ?っで、自力で思い出そうとせず、
誰かに効いたりして過ごしていると、記憶再生能力は
徐々に低下してくる。(そのことに気付いて、最近は無理してでも
「あの俳優だれだっけ?」と自分に問いかけてみて、すぐに思いださない
でも、無意識君に検索をかけてもらってます。これをやっていままで
思い出せなかった俳優はいません。)

 以上のような原因が考えられる。
っが、一番の原因はアウトプットすることを意識していない点
にあるように思う。

 たまに引き出しが多い人がいるけれど(映画評論家の町山さんはその
典型例)、あの方々はアウトプットを前提にして、意識的にインプットを
行っているのだと思う。

 例えば、本を読んでいても200数ページ読んで、まるで頭に残っていない
時がある。

 つい先日村上春樹の長編小説をすべて読了したのだけれど、
まるで中身なんて覚えてない。ストーリーのあらすじを思い出すのがやっと。

 読んでいて、「あ、ここ上手い言い回しだなぁ。」とか「面白いなぁ」
とは思うのだけど、意識的に「〇〇を引っ張るために読む」という読み方
ではないため、結局楽読(@樋口裕一)になってしまってた。

 だけど、これを意識的に行うと違う結果が出てくる。
最近はブログを書くために、意識的にネタ探しをしている。
 
 面白そうなネタないかな、という視点で日常を過ごしていると、
ネタなんかいくらでもゴロゴロ転がっている事に気付く。

 そんなものだと思う。

 これが世の中なんて不思議なものであり、僕らが人間が
知る由もない、というスタンス(その通りかもしれないけど。)
で過ごすならば、きっとその人の中にはアウトプットすべき
ものが短期記憶としてしか刻まれないのではないか。

 自分が敬愛し私淑している先生の言葉というのは、「この方の言う言葉は
聞き逃せない」という緊張感とともに接するものだから、強烈に残るのに対し
(吸い取ってやる、という意識で効いてるから)、たわいない雑談なんかが
残ることは、概して傷ついたりするということぐらいの体験でしかない。

 なんとなれば、記憶とは意識的行為の産物である、と言えると思う。

 誰しもがぼんやりと理解していることだろうけれど、この意識的に、という
意図で行うのと、そうでないのでは、徐々にそして大きな結果を後にもたらす
のではないかと思う。