生物学が面白い。

 生物学に今更はまってる。

「ゾウの時間 ネズミの時間」や「新しい高校生物の教科書」などの生物学関連書を
読んでいて、初めて面白いと感じた。

 例えば、時間という概念は万物平等として一般的には捉えられている。
だから、ネズミや犬などが人間より短い年数で生涯を終えるという点を
を見ると、少し同情心すら起こる。

 しかし、それは傲慢というものだったらしい。
というのも生態のサイズによって、時間の経過感覚は異なるらしいから。

 時間は体重の1/4乗に比例する、ようだ。 
つまり、体重が増えると時間が長くなる。

 

ただし1/4乗というのは平方根平方根だから、体重が十六倍なら時間も十六倍という
時間が二倍になるという計算で、体重が十六倍なら時間も十六倍という単純な比例とはちがい、
体重の増え方に比べれば時間の長くなり方はずっとゆるやかだ。


 ということらしい。

 要は人間とネズミや犬などが感じている時間の流れは同じようには
感じられない、ということになる。

 いままで人間の視点からしかみていなかったから、この新しい考え方には
目を見張った。

 話は変わって、「新しい高校生物の教科書」を読んでいて面白かった所。

 人はなぜ病気になるのか?
この謎の探求が面白かった。

 病気と聞いてすぐに頭をよぎるのは、風邪である。
風邪を引くのは、ウィルスによるものが大半らしい。

 っで、よく人は風邪を早くお治したがるから、解熱剤などの薬物を使って、
症状を抑えたり、完治するまでの時間を短くしようととする。

 これは日常生活を過ごしやすくするため、仕事の効率を上げるためなど
実際的な面や、不快感を早く拭いさりたいという感情的な面から行われる
ように思う。

 しかし、生物学的観点から言って、この対処法はあまり賢い方法ではないらしい。
というのも、不快な症状は、概して一つの体の治療法だから。

 風邪の症状とし代表的な発熱のほか、咳、痰、くしゃみ、鼻水、下痢、嘔吐などがある。
風邪を引いたとき、我々の体はこの種のリアクションをする。
この行為は、我々には不快なものであり、なるべくなら避けたいものである。

 しかし、咳や痰、くしゃみ、鼻水などはウィルスを外へ追い出すための
ものであり、下痢や嘔吐にしても同様の働きがある。

 「咳が止まんねぇし、鼻水はずるずるだし、熱は下がんないし・・。もう最低だよ。」と
風邪を引いたとき僕らはよく毒づくが、これらは無意味に不快感をもたらしているのではなく、
「休養をとりましょうね。」というサインと、ウィルスを外へ追い出したりするという機能を
果たしていたのである。

 浅学のため、このような基礎的なことを知らなかったため、
「おぉぅっ、すげぇ」とつい独り言を言ってしまった。
隣席にてニコヤかに談笑されていた2人組の女性に「なにこいつ。やだ、キモイ」と
引き顔をされたのは切なかったが、それほど僕らの体(遺伝子なのかな?)というのは
生命への執念というべきものをもっているのだと驚いた。

 しかし、考えてみると不思議である。
昔、あれほど毛嫌いしていた「生物」という学問に対して、今は異常に興味がある。

 読んでいくと、「これは分かんないから、?にしておこう」と放置してきた空欄が
どんどん埋まって行って、とても気持ちいい爽快感を感じるし、なにより面白い。

 昔授業が始まるだけで、憂鬱になり、
「けっ、つまんねぇなぁ。早くおわんねぇかな。家に帰ってゲームしたいんだけど・・」
と不平不満だらけだった自分が、今では面白いといったりしてる不思議。

 少しずつ読書対象分野を広げて行くにつれ、いままで興味関心をまるで
抱けなかったものに対する「知りたい」という欲求が生まれてきている。

 その時感じているのは、「俺はなんてものを知らないんだ」という羞恥心や無知の自覚と、
「世の中にはまだまだ自分が知らないこと=お宝がわんさかあるぞ」という幸福感や
知に対する好奇心。(と、いっていいほど高級なものじゃないけど。)

 だらだらと読書の幅をちょこっとずつ広げてきて、自分が得た少ないお宝は、
この知らないものへの好奇心と言えるんじゃないかと思う。

 内田先生もこの好奇心の大切さを語っていることも、事の重要さを語っているように思われる。

「え?これ何なの?どうして?」という「驚き」が知的探求を動機づける。
「驚かない人」は自分の前にある現実を現実としてそのまま受け入れる。だから、
どのような歴史的所与に条件づけられ、どのような偶然によって、その現実が現実と
なったのかを探ろうという気にならない。「驚かない人」というのは言い換えれば、世界は
「このようになるべくしてなっている」というある種の宗教的信憑のうちに安らいでいる
のである。」(『私の身体は頭がいい』)


 目の前で起こっていることは、当然ではない。
この態度で世の中を観察する時、僕らの前には「大きな知の海」が広がっている。

 わからないことがあると、つい「そういうこともあるのかな。」で片付けてしまうけれども、
もう一歩突っ込んで、世の中と接して行きたいものである。

そこにこそ僕らの知的成長があるのではないかと思う。


ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

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私の身体は頭がいい (文春文庫)

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