ダンス・ダンス・ダンス

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。
おいらの言っていることはわかるかい?
踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんて事は考えちゃいけない。
意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいら
には何ともしてあげられなくなってしまう。

(「ダンス・ダンス・ダンス」著 村上春樹、上巻、p182)


 ある対象に向けていたエネルギーを行動に変換し運動していた個体(つまり自分)が、
ふとした疑問を契機に(おれ、どうしてこんなことしてんだろう?の類い)停まってしまうことがある。
意味をふとしたことで考えることが僕らの本質であるから、これは仕様がない一面がある。
そうして考え方も止揚されていく。メリットも大きい。

 しかし、一度じっくり考えようと思って停まってしまうと、「さぁ、また始めるか」と心機一転、
思い立ったときにカラダが重い。ずっしりとした巨人になった感じすらする。

もうダルくて重くて、動くのが非常に面倒くさい。

 blogを書いていてこれを痛感する。
毎日ネタを探して動いているときはいい。更新できなくても、ネタをメモ帳に記しフォルダに
保存しているから、(つまり運動しているから)エネルギー量の高さも保たれる。

 しかし、何らかの理由で休んでしまうともう大変。元のリズムに戻すのは、よほど強制的に自分に
命令し動かさない限り、動こうとはしてくれない。
頭では書かなきゃいけない、と思ってる。圧力をかけるためにスケジュールに食い込んでもある。
ただ一度停まってしまったものを再び動かすのはしんどい。いくら鞭を打っても、自分という
馬はヒヒィーンと勢いよく走りださない。

 「勉強に集中する方法」の著者、須崎泰彦先生はこのことを旅客機の離陸時に譬えている。
一度上昇するまではものすごいパワーがいるのだけど、飛んでしまえばあとはすいすい行く、と。

 これはよく理解できる。

 最初はものすごいパワーがいる。ガーーーっ、とそこにエネルギーを注ぎ込まなければいけない。
しばらくその運動状態を保って過ごしていく。
すると、いつのまにか空を飛んでいる自分に気づく。
「あれ、あの怠け者だった自分はどこへ?」と不思議に思うくらいスイスイ飛んでいたりする。

 これは本当に不思議だけれど、実際に僕らの身体に起こることである。

 エネルギーを出し切った状態っていうのは、気持ちいい。そして出せば出すほどエネルギーは
沸いて来るということを信じる。出し切ることを怖がらない。
(中略)
 実際子どもに、たとえば野球で壁にボールぶつけろと言うと、一〇〇球や二〇〇球その辺で
「くたびれた」と言うけど、それでもやらせてみる。一日ぶ五〇〇球、一〇〇〇球くらいは
小学生でも投げられるんですよ、本当に。やる前なんか、一〇〇〇球なんかとても投げられない、
ダメだって言うんだけど、でもやればできるんだ。
(「勝ちにいく身体」共著 斉藤孝、坂田信弘 p204 )


 動いているうちに、エネルギーを出しているうちに、より多くのエネルギーをだせるようになる
という不思議。

とすれば、やることはもうわかってくる。
とにかく動き続けること。これである。(たぶん)

 最後は文頭でお越しいただいた村上春樹さんに再びご登場いただき、
権威の力を借りて締めさせていただこうと思う。

どんだけばかばかしく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで
踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。
まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。
怖がることは何もない。あんたは確かに疲れている。疲れて、脅えている。
誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう。」
(中略)
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手くおどるんだ。みんなが感心する
くらいに。(中略)音楽の続く限り。」(「ダンス・ダンス・ダンス」p182)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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