映画鑑賞 「親切なクムジャさん」

冒頭、クムジャ(イ・ヨンエ)が刑期を満了し、刑務所から出所してくるところで、物語が始まる。
クムジャの出所を祝うキリスト教の伝道師とコーラス。(コーラス隊が賛美歌のようなものを歌う)
伝道師はクムジャに白い豆腐を差し出す。


しかしクムジャは差し出された白い豆腐を手で払ってしまう。


このシーンはなんの意味があるのか?そこでググってみたらパク・チャヌク監督のインタビュー記事が
見つかった。そこにこう書かれていた。

インビュアー オープニングで出所のときに、クムジャさんは(韓国の出所祝いの風習である)白い豆腐をひっくり返しますよね。それで、ラストでその豆腐に変わる白いケーキが登場しますね。そのときに、ひっくり返した意味がなんとなくわかったんです。このように巧妙にプロットが配置されていますが、脚本を書くとき、プロットはどうやって考え、配置しようとつとめていますか?

パク・チャヌク あの白い豆腐を(出所したクムジャに)差し出したのはキリスト教の伝道師で、クムジャさんはそれを食べない。つまり、ほかの人間から差し出されたもので許されようとは思っていないわ、という固い決意を表しているというわけなんだ。


キリスト教といえば、祈ればなんでも許してくれる宗教だ。


エスは主であると口で言い表し、神はイエスを氏からよみがえらせたもうと心で信ずるなら、あなたは救われる。
(「ローマ人への手紙」 第10章 九)


極端な話、「主を信じます。だから許して下さい」と唱えれば許してくれる宗教だったりする。


しかしクムジャさんは、そのような許しを嫌った。白い豆腐をきらったのは、
神と存在にゆるしてもらうのを拒否したメタファー。(白色というのも、キーですよね。)
彼女は自らの行動で償おうとする。


この映画の主人公のクムジャさんは、過去に大罪を犯してしまい、それを非常に悔いていた。
それを美女が犯したものだから、マスコミたちはギャァギャァ騒ぎ立てた。(ここらへんはマスコミへの揶揄が感じられる。)
自分が犯してしまった罪。彼女はその罪滅ぼしとして、ある人に復讐をすることを決意する。
(なぜある人に復讐することが罪滅ぼしになるのか。
それはオチに繋がるので、伏せておきます。)


ここでもう一度、チャヌク監督の言葉をひく。

今回はまったく違って、クムジャはもっと利己的で、自分のためだけにすべての行動を起こしているんだよ。贖罪についてもこの程度なら許してもらえるだろう、という彼女の判断基準が行動の正当性を表している。だから復讐を遂げたときに、亡くなったウォンモの幽霊が出てきて、「あなたのことを許します」というような言葉をクムジャは聞きたかったと思うんだよ。クムジャの救いは、宗教的な信仰に頼らず、自分で動いてコトを起こして心の平穏を得ようとして初めて得られるものなんだ。


ウォンモというのは、クムジャさんが犯してしまった罪に関わる子どものこと。
クムジャはその子に許してほしかった。


そのためクムジャさんは念入りに準備をする。13年間もかけて。
13年間。いうまでもなく、とてつもなく長い時間だ。
しかしそれだけの時間を費やし、彼女は復讐によって何を得ようとしているのか?


クムジャさんが得ようとしたもの。
それは魂の救いだったようにおもう。


その復讐は成功するのか?
また、成功したとしたら、彼女の魂は救われたのだろうか?


少し重たい映画で、またカットバックが多用され時間軸がビュンビュン飛んで、
現在と過去をいったりきたりするので物語を整理するのが大変ですが、罪を犯した
人間がどのように救われるのか(どうか?)を知り学ぶには、見ておく価値のある
映画だとおもいます。