今年NO1コメディ 「スーパーバッド」

定義
スーパーバッド・・・めちゃくちゃ悪くて、イカすやつ。


高校3年生最後のパーティーが、知り合いの美少女の自宅で開かれることになった。
童貞のダサダサコンビ、セス(おデブくん)とエバン(ひょろひょろ)はもちろん
華やかなパーティー生活とは無縁だが、運良くその美少女ジュールスに誘ってもらえた。
その嬉しさのあまり、セスは彼女の家にお酒を持っていく約束する。


アメリカではお酒の販売は非常に厳しく、21歳以上にならないと絶対に売って
もらえない。だからこそお酒を持っていくことができたら、タイトルにもなっている
スーパーバッド(めちゃくちゃカッコいいヤツ)ということになるのだ。


しかし、このおデブくん(セス)。
なぜ21歳でもないのに、お酒を調達するなどと大言壮語してしまえたのか?
それは、いつもツルんでいるもう一人のサエない友人フォーゲル(最高キャラ!)
がニセIDをもっていたから。このニセIDを使ってお酒を買おうというわけ。


「ふふふっ。これでお酒が買えるぜ=エッチができるぜ」


というような安易な計画のもと、3人組のパーティーへの旅が始まる・・・。



っで、この映画、冒頭から中盤頃まで、女の子とやることしかエロエロ頭の男の子たち
の姿がずっと描かれる。


コンビニでセスとエバンが飲み物のお勘定をしているとき、彼らはこんな会話をする。


エバン「ボッキすると隠すのが面倒だよね」


セス「俺はベルトの下に挟む
   隠れる上 ほどよい刺激でたまんねぇ」


エバン「女子も男のボッキを見て喜べばいいのに」(アホか)


あとは、こんな会話が続く。


セス「ベッカの元カレよりお前のほうがましだ。
だからとっとと押し倒せ」


セス「(成功すれば)今から2か月 やり放題だぜ」



おいおいおい。人前でそんなモロな会話していいのかよ、とコチラ側が心配にさえなる。



また家庭科の実習時間に憧れの女の子ジュールスと一緒になれば、少し離れたところにいる
相棒のエバンに見せ付けるように、彼女の後ろでこっそりと手をシコシコしたり、腰を振ったり、
お尻をペロペロなめまわすようなエロパフォーマンス(アメリカンパイのスティフラーと同じ)をしたりする。


もうタダのバカ。見ていて苦笑し呆れてしまうしまう。


しかしこのまるで遠慮のない、10代男子の本音を描いているこの映画は心に響く。
口では「ファッキン ファッキン」いっているだけで、行動が伴わない。女の子を
目の当たりにすると、しどろもどろになってしまう。ここには強く共感しちゃうし、笑える。
10代の頃特有の女の子を神格化している点がまたリアル。


どうしようもない男の子たちが主人公のバカエロ映画。
しかし実は他のティーン向け映画より断然優れているのだ。


女の子とやりたいって願望だけの妄想少年ストーリーのどこが?
と不思議に思われるのも当然だろうと思う。


けど、この映画はしっかり描いているのである。
少年期から大人への道(=通過儀礼)を。


通過儀礼っていうのは、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の
期間に新しい意味を付与する儀礼のこと。


つまりこの映画で描かれているのは、少年期から青年期への移り変わり。
少年が少し大人になる過程を描いている。


彼らはお酒を持参するという旅を終えたとき、それまで神のように感じていた女の子らに、
幻滅する。
「女の子ってのは崇高なものだ」と思っていたのに、実際は自分たちとなんら変わり
ない人間にすぎない、っていう真実にここで気付いちゃうのだ。
こうした事実を受けていれて、また一つ大人へなっていく。


また親友との別れという点も通過儀礼の一つ。


幼い頃から仲良しでいつも一緒だったデブくんとエバンは卒業を2週間後に控えており、
無事進学先も決まっているが、別々の大学に入学することになっている。
だから、このパーティーを最後に少なからず疎遠になる。


彼らは放課後、男同士でゲームしたりエロサイトをみたり、お酒を飲んだり(たぶん
両親のものを勝手に拝借してる)して遊んでいる。
けれど、この些細な旅を終えるころには、それもできなくなる。


大人になるということは、いつまでもつるんでワイワイいって遊んではいられないことであり、
自分の人生を引き受けていくということでもある。


彼らはこの旅を終えたとき、その大人への岐路に立つ。
これがラストシーンになるわけだけど、その感動的なことといったら!


台詞で「さみしいよな。じゃあな。また連絡しろよ。」と陳腐な説明はもちろんしない。
いままでの思い出が消えてなくなってしまうのではないか、というような不安でいてなぜだかすごく
切ない、どうしたいいのか分からないという心境を表情と間で語る。これが、すごく泣かせる。
(台詞で全部いっちゃうのはアホの極み。)


だれもが通ってきた子供から大人への道。
この道をしっかりと描ききった、この傑作コメディは、以上の理由で必見なのです。
というわけで、醜態をさらし続けた幼かった我が日をありありと思い出させるこの作品を、
ぜひご堪能あれ。感動は必至です。