読書感想 「イン・ザ・プール」

慌ただしく身支度を整え外出したとき、しばらくしてものすごい不安になるときがあります。


「あれ。そういえばさっき、玄関の鍵を閉めたっけ?ガス線は?タバコの始末は
してきたっけ?」


これがいったん気になると、気になって仕方がありません。
筋道立てて、その朝からの行動を記憶を頼りに振り返っても、どうも釈然としない。


同じような動作を毎日続けているから、「間違いない」と確信しきるには、
浮かんできたイメージがどうにも心もとないんですよね。今日のものではなく、先日の
記憶のようで。


まぁ、そんなときはどうせ物理的に帰宅することが難しいので、あきらめて、打てるだけの
対応策をうち、(家の者に電話するなど)、あとはもう「忘れる」ことにしてます。


で、そのまま「忘れる」ことできたら、これほど記憶力の悪さに感謝する瞬間はないんですが・・。


空中ブランコ」で直木賞を受賞された奥田英朗さんの作品には、
こうした症状が極端になってしまった神経症に罹患した人たちが登場します。


四六時中、つねに勃起状態のサラリーマン。
誰かにずっと見られているというストーカー被害(妄想)に悩むコンパニオン。
携帯を手放すと手がブルブル震えるようになってしまった高校生。


本作はこうした神経症を罹った人々と伊良部先生というとんでも精神科医との
治療関係にもとづくお話であり、前作「イン・ザ・プール」から最新作「町内選挙」
まで続く連作です。


っで、このシリーズ。
どれをとっても絶妙に面白い。


というのも、僕らにも少しは思い当たる節(神経症患者と類似した思い込み)がある
ので物語に入っていけるということと、伊良部先生という精神科医のキャラが面白いからです。


伊良部先生のキャラの魅力は後述するとして、面白いなぁと感じたエピソードを
1つご紹介したいと思います。


伊良部シリーズ第一弾、「イン・ザ・プール」の「フレンズ」から。


一日200回はメールをするという男子高校生の津田雄太は、
バイトしていて月に7万円ほど稼ぎ、CDや流行者の洋服を買いあさっています。


買った新曲CDは友人たちにどんどんダビングしてあげ、残りのお金は交遊費に
回してます。


とにかく人と繋がっていないと不安な彼は、授業中、授業をまったく話をきかず、
とにかく友達にメールをうつ。
メールの返信率は5回に1回と非常に少なく不満を抱いているようですが、
打たずにはいられないようです。
こうしたことが高じてか、雄太は携帯を手放すと手が震えるようになります。
そこで、母親に精神科に行くよういわれ、1万円のお小遣いをもらってその
提案を受け入れます。


病院でも雄太は携帯を手放せません。
診察されながらこんなメールを友人に送ってます。

《いま、地下室。チョー不安》(伊良部先生の神経科は地下室にあります。)
《デカ乳ナース登場。谷間モロ見え。たまんねぇー》
《パンツも見えそう。たまんねー。うそじゃねえぞー》
《ヤッベー。メール見られた。マジ、ヤッベー》


なめんなよ、小僧!という感じです(笑)


こうして常に友人たちとマメにメールでコミュニケーションを取り合う少年は、それ以後も
精神科に通う日々を過ごします。


するとクリスマスが近づいてきます。


学生の頃、意味もなく予定がないことに焦りのようなものを感じてましたが、それは
雄太も変わらないようで、まるで予定が入っていない雄太はあせります。
なんとかして、予定を埋めなくては。
少年期にありがちの焦燥感を感じ、雄太はクリスマスの予定を埋めるため奔走します。


が、結果は惨敗。
友達はみんな自分を省いて予定を立ててしまっていて、あとからは入れそうにない。


そんな失意のうちのある日、雄太は病院に診察を受けに行き、伊良部先生の突然の提案で
秋葉原のプラモデルショーに行くことになります。


すると広場で行われていた抽選に運良く伊良部先生が当選!壇上にあがる伊良部先生。
そこへなぜか子供も一緒にあがってくる。


どうやら主催者側のミスで2枚当選券をだしてしまったようです。
このとき先生は本気で司会者と景品を賭けてケンカします。


「すいません。当方の手ちがいで、同じ番号の券を二枚発行してしまったようです。
申し訳ないんですが、譲っていただけませんか」
「なんでよ」伊良部が唇をとがらせた。「そっちのミスを、どうして僕が被らなきゃいけないのよ」
「あいすいません。景品は限定品でひとつしかないんです」
「だったら余計に引き下がれないな。こっちだって欲しいし」
「あの、お子さんにお土産、ということなんでしょうか」司会者がおそるおそる聞く。
「ううん。ぼく用」伊良部は平然と答えた。司会者はしばし眉をひそめると、ひきつった笑みを浮かべ、小声で言った。
「こちらは低学年の小さな子になので、譲っていただけると…」
「やだよん」


実際こんな大人げない大人を見たらつい失笑しまうと思います。(笑)
(でも、伊良部先生の主張はおかしいのだろうか?子どもに譲らなくてはいけない、
という固定概念を考え直させる問いではありますね。)


この顛末をみていた雄太は呆れながらもハッとあることに気づきます。


「この男は、人に好かれたいとか嫌われたいとか思っていない。子供と一緒で、
他人のペースに合わせるということをしない。だから一人でも平気なのだ」


友人(?)たちから注目され友達でいてもらうために、頻繁にメールを送り、CDをじゃんじゃん
買いあさってダビングしてあげ、遊びのお呼びがかかったものにはすべて参加するという努力。


彼はいままでここに死力を尽くしてきました。
でも、そんなことしても意味がないと気付いたわけです。


こうして伊良部先生の奇行による結果的な癒しを得たところで物語は終わりを迎えます。


本書を読んでいくと、神経症に(たぶん)罹患していない我々にも少なからず神経症患者に通じる性質があり、
それが僕らをこの世界に没頭させ、最後にしみじみと感動させてくれます。
また子ども大人の代表のような伊良部先生が結果的に患者を癒していく姿も痛快です。


こーいったエンターテイメント性と優れたテーマが見事にミックスされた小説
をクスクス笑って楽しみながら読めるというのは幸せなことだなと思いました。


イン・ザ・プール (文春文庫)

イン・ザ・プール (文春文庫)