仕事人としての存在意義

目をカッと見開いてものを観察してみると、思わぬ拾い物をするときがある。

今日の獲物は衝撃的だった。
blogネタになりそうなので、ちょっと借用させていただく。


本日ipod touchのケースを探すために、近くにあるヤマダ電機にいって
ガサガサあさっていたとき、それを目にした。


一目、衝撃的行為が行われている空間に目を向けただけではまるで判らなかった。
だって、店員さんがレジカウンターの奥で小説読んでるとは、まさか思もってもみなかったから。


白昼堂々と、同僚の目を全く気にせず、消費者に商品の案内、販売、をすることで、お金を受け取っている
はず仕事人が、客に背を向けて本を読むなどありえないだろうという、当たり前としていた既成概念が壊れましたね。
完全に。貴重な体験をさせてもらいました。


でもなぜこんな奇妙な行動が起こりえるのか?
同僚がだれひとり意義を申し立てない黙認というこの現状が。
少し気になるので考えてみよう。


1.その人はヤマダ店員ではなく、docomoという文字をを背中に背負った
  携帯販売員のおねーさんだったという事実。
2.っであるからして、たぶん外部の企業から派遣されており、おねーさん
  が携帯の契約をとることに、派遣先の企業に利益がいく。もしくは、docomo
  より契約量につきお金が支払われる。
3. それならおねーさんが読書していても、ヤマダの店員が怒らないのも
  理解できる。(まぁ、理解はできても、すごい光景でしたけど。)
4.また、客の居ない昼間の時間帯は、客の入る週末、夕方に比べがんばっても意味がない。
  母数が少ないから。
5.よって、生産的ではない時間は、有効に活用するために本を読んでいたと。


強引な推論だけれど、納得できなくもない。


そういえば、昼間の家電量販店はものすごい空いている。
当然と言えば、当然だけど・・。
店内を暇そうにウロウロしているなんて光景はよく見かける。
今日の読書はその暇を彼女的に「有効活用」していただけであって、あながち自分が目撃した
異常な姿は電気料煩的の日常的なノーマルな姿なのかもしれない。


ここで、少し考え込んでしまった。


今はお客が細かいところまで情報を勝手に集めて来客する時代である。
(といっても過言ではきっとないだろうと思う。)


情報は探そうと決意すれば、ネット上にゴロゴロ存在している。
個人のブログに、企業のHP、2chに価格ドットコムや楽天、アマゾン
などの資料やデータ、レビューを参考にすれば、お客はどんどん商品知識を仕入れられる。
当然リテラシーは高まっていく。


もちろん、すべての人間がここまで用意してむせに出向くわけではないだろう。
情報に敏感な人々はという限定の話ではある。
けれど、このように事前に知識武装していく人がいるという可能性は見逃せない。


価格ドットコムで商品の底値を調べ、来店時に「これ、ネットで30000円くらいなんですよね。
で、こちらも今日ほしいから、少しゆずって31000円くらいで手を打ってくれませんかね?」と
交渉する人もいるとおもう。(←自分です。恥。)


っといったことが、起こってくると想定したとき、販売員さんの存在意義はどこにあるのだろう?
ただ客と価格交渉し、商品を仕入れ、整理し、管理するといた面でしか発揮されないのではないのか。
もしそうだとしたら、それは店にとっての存在意義があるというわけで、決してお客にとっての存在
意義があるとはいえない。


たしかにこれは全てのお客にあてはまることではない。
高齢者の方には、ネットを使っている方はさほどおおくないだろう。
モノを買うのは直接お店にいって説明を受けてから。そういった消費行動のプロセスはまだまだ消え
はしないと思う。


還暦を迎えたうちの両親も、とてもネットでは怖くて買い物などできないといる。
こういったお客相手には、ある程度の知識を有していれば、接客技術がさほど高くなくとも(つまり
気持ちよく買えなくても)販売員は意味をなす。


しかし、若年層はネット環境の整備とともに成長し、消費者として育ってきていることもまた事実である。
彼らを相手にしたとき、今の販売員は存在意義があると言えるだろうか。
若年層は往々にして知識を持っている。彼らに対して販売員がすべきことは、リスペクトする心をもって
接客することだとおもう。


年配の店員さんだと、「こいつ万引きしねーだろうな」だとか「そんなもん買われても、大して金になんねー
んだよ。」的な顔をしながら、いやいや接客する方がいる。
こーいったひとをみると、腹が立つけれど、それよりも脱力してしまう。いい加減にしてくれよ、という感じである。


たとえその時お客が小物を買おうとも、その後上質な客に変化することはあるのに、それを勘定に入れ忘れてる。
こういした不快感をもたらす頭の悪い人のところへは、当然買い物しにいかなくなる。
それって、損なんじゃないのだろうか?


万人が「あれ欲しい」と願い、簡単な行動を起こせばいくらでもその情報が手に入る、フラット化がすすむ現代に、
このような方は淘汰圧を免れないと思う。


すべては受動的な仕事の仕方に原因があるようにおもう。
まっていれば客が勝手に来店し、買い物していってくれる。
しかし現在はそのような時代ではない。
だから、このような仕事観はさっさと捨て去ったほうがいいのではないか?


今はお客が事前に知識を仕入れてくることを前提とした接客能力(知識、コミュニケーション能力など)
が問われる。商品知識があることは当たり前。その上で、お客の状況にあわせての接客技術が必要とされている。



店員さんが知っている情報は、大抵こちらも知っている。
情報源に差はほとんどない。世界は「フラット」になった。(@フラット化する社会)
だから、その上で彼らは接客しなくては、お客にとって彼らは用を足さない人物となる。
プロたるもの、やはり素人に情報の点においても負けるわけにはいかない。
だから情報量の多さは、始発点といえる。


IT技術が凄いスピードで進化し、ビジネス形態が様変わりしていく現在、「おれの存在意義っテなんだ?」
という問いを抱えつつ、仕事人としてスキルを向上させていく進化が、今僕らには求められているの気がしてならない。


おねーさんがのんびり「読書」している姿は、時代の進化を必要性を象徴しているように、僕には思えた。