読書[論理力の必要性]→「勝ち抜く大人」の勉強法

「勝ち抜く大人」の勉強法 を読む。
類書にはないことが書かれている好著である。
 

自説をゴリゴリ押し込んでこないし、強弁する危険性もしっかり自覚されている
方の勉強指南書だけあって、よんでいて大変気持ちがよい。


本書では「己の比較優位を探せ」「情報の集め方」「論理的思考力の高め方」など
今後、資本主義経済下で生き抜くための知恵が幅広く述べられており、努力の仕方に
ついてのヒント、アイデアが散りばめられているように思う。


特に「論理的思考力の高め方」は生き抜くうえで大変重要であるという著者の意見に
自分も賛同するものなので、それがどうして必要なのか、どのようにしたら高められるのか、
について失念を防ぐため、備忘録としてここに記しておく。


そもそもなぜ論理的思考力は必要なのか?
これは就職活動を例にしてもよくわかる。


就職を志望する企業へ提出する履歴書には志望理由を書く欄がある。
そこに書く志望動機が「御社がつくっている商品が私のお気に入りの商品だからです。以上。」
ではお話にならない。


企業が求める「どうしてキミを採用することで私たちにどんなメリットがあるんだい?」
という暗黙ながらも前提とされる問いに答えられてないし、(まったくではないけど)動機にも
なってない。


その企業が今後資本主義市場に追いてどのようなポジションに推移していき、そこではどんな
ことが市場から求められ、そこで自分がどのように役立ち、利益を産むことに貢献できるか、
くらいの話を展開しなくては、あちらが「こいつは使えるな」と思うはずもない。


映画のCMで素人さんが「あの映画さいこーです。是非見て下さい。」
では、めちゃくちゃ見たい!と思わないのと一緒。


有名な評論家が言えば、これだけでも説得力はあるけれど、一般人ではむり。
だから人を説得し納得させるための論理が必要となる。


また論理力を向上させるめりっとはもう一つある。
それはオカルトな話にひっかからなくなるということ。


昔、オウム真理教が話題になったとき、エリート(東大生など)の人などもまんまとひっかかり、
テレビのコメンテーターたちも「なんででしょうね?」と存在価値のない発言をされたりしていた。


あの宗教は宗教的知識がある人にいわせればめちゃめちゃらしいけれど(《オウムは地獄は実在すると思い込んでいた。
そして、地獄に堕ちるぞと信者を脅して金を巻き上げたり、殺したり、犯罪を命じたりしたりしたのであった。
 地獄は実在しない。人を導くために譬え花しとして仮に考えておいたものにすぎない。仏教はこのように考えている。》 
「日本人のための宗教原論」p17)、頭の良い人もひっかかった。


知識があれば偽宗教だ、インチキだと見抜けたかもしれない。
けれど、ロジカルに考えてみれば、その教義の穴は見つけられたんじゃないかと思う。
彼らは盲信することで、思考を停止してしまったのではないか。


しかし、オウムの話は過去の悲惨な出来事としてすまされるものではない。


オウム信者が信じきったようなオカルト話は、いまはTVで平然と流されているから。
ゴールデンの19、20時ごろにTVをポチッとつければすぐにありがたいお話に出会える。


「あんた、そうじゃないのよ。それがいけないのよ。あんたはね◯◯なんだから、◯◯
しなきゃいけないのよ。わかるぅ?」
と年配の元気なおばさん、おじさんが芸能人にバンバン説教している。


出てくる芸能人は「そうなんですね。そういった意味があったんですね」と登場してきたときとは
打って変わって、大変朗らかで爽快な顔になる。
聞いていると、よくそんな彼女の解釈話を信じられるなぁと思うのだが、
この爽快な気分になっていくこと自体はわるいことではないから、そこは否定しない。


憂鬱とした雰囲気を払拭してくれるのならば、それはそれでよい。
しかし問題はそれを盲信して、思考を停止してしまうことにある。


そもそもなぜここまでオカルト番組は異常な視聴率を獲得し、人々を魅了しているのだろうか。
それは<日本が卑弥呼以来の呪術社会、呪術国家である>ことが原因のひとつだと著者はいう。


ちょっと引いてみる。


《呪術の本質はあいまいさにあります。こんなあいまいなものを一番最初にもってきてしまうと
とんでもないことになります。たとえば「大和魂」という呪術を例にとりましょう。これが一番最初
に来ると、合理的に考えると「弾薬が足りません」「食料が不足です」というじたいであっても、
「バカモノ、そんなものは大和魂で補え」となってしまうのです。
(中略)
呪術は合理的に作戦を考えた後に精神を効用させるために使うのがもっとも合理低なのです。
アメリカの大統領が演説の一番最後に神の祝福を求めるようにです。》

著者が主張するように、呪術は精神を高揚させることに関しては大きな成果をあげる。
そんな言葉を聞きたい日もある。


自分を肯定してくれるような言葉、本のメッセージ。TVからながれる呪術。
そのとき、確かに僕らは「あぁ、そうだよなぁ」と癒される。


しかし、それは一時的なものであり、数日間たつとその無敵の魔法の効力は切れてしまう。
するとそれがまた必要になる→また浴びる→効果が切れる→浴びるというようなループに陥ってしまう。
これじゃあ本質的な解決はない。


また呪術はこんな恐ろしいことを招くおそれがある。


大東亜戦争の末期、日本人は「一億玉砕」「一億総特攻」という呪術で戦いました。けっして「陸海軍玉砕」
「陸海軍総特攻」といっていないところがこの時代の日本人のおろかなところです。
一億という以上、当時の日本の全人口(約七千人)を含みますから、女、子どももこの一億に入ります。つまり、
日本人全員がいさぎよくしにます、みんな特攻に加わりますという意味です。一億玉砕や一億総特攻の字義を意味
どおりに取れば、これ意外に解釈の使用がありません。
 これはじつに恐ろしいことです。というのは、戦闘員と非戦闘員、軍人と民間人の区別を放棄します、と日本人
自らが言い出しているからです。論理的に考えると、どうしてもこうなります。これ以外に解釈のしようがありません。
実際、サイパンから沖縄まで子どもから女まで多くの民間人が玉砕(いさぎよく死ぬことを玉砕といいます)しました。
(中略)
アメリカが「あなたがた日本人は一億玉砕、すなわち戦闘員と非戦闘員との区別、軍人と民間人の区別を放棄するとの
スローガンを自らッ陰、それを実践していたではないか。われわれは原始爆弾で、一億玉砕のお手伝いをさせていただいた
だけだ。あなたがたの望みを叶えたのだ。それを今になってとやかくいうのはおかしい」(中略)と居直ったらどう反論
するのでしょうか。
 実際、ジャーナリストの日高義樹氏によれば、アメリカはもしあのまま日本が降伏せずに闘い続けたら、サリンのような
毒ガスで日本人を大虐殺する計画を立てていたそうです。(中略)あのままバカ軍人どもがわめていた「本土決戦」
「一億総特攻」を本当に実行していたらと思うとぞっとします。本当に日本人が絶滅するかもしれなかったのです。
(中略)
 言葉をいい加減に呪術として使うとこんな恐ろしいことが起こるのです。)

呪術とはことほどさように恐ろしいもののようだ。
だからまず一般人である自分たちがすべきことは、まず自分の頭で論理的に考えるクセをつけるということ。
物事を判断するのを、他人がいってくれる受けいれ安く気持ちよいものに任せないこと。(これをしちゃうと
信者になってしまう。)


原則的に、自分の頭をつかってウンウンいいながら考える。
そのあと自分を安心させ、自身をもたせるためにプラス思考的言葉などで自分を・・・させるべきだと思う。


信じて終わりではダメ。
もしかしたら、自分が洗脳されているかもしれないんだ。
ある主張に対して、「いや、それは違うんじゃない。だって・・・の説明がつかないじゃないか」みたいに
反論してみること。


では、どうやってその論理的思考力を鍛えたらいいのか。


それには3つにトレーニング方があるらしいが、かなり長文になってしまったので、
また明日トレーニング法については記すことにする。