映画感想→「クローバー・フィールド」

『クローバー・フィールド』

あるアパートで若手ながら副社長に就任したロブの送別会が行われていた。
「サプラ〜イズ」。
驚くロブ。


その後、賑やかだった会も、しだいにゆったりした時間が流れはじめ、人々がくつろいでいるとき、
突然外のほうで大きな音がする。


「なんだあれは?」


路上にかけだしていく彼ら。


するといままで当たり前の日常模様を呈していた町中で、いきなりものすごいでかい生物らしいものが
ビルの奥に見える。あんなんだ、あれはという騒ぎ声がそこらじゅうでする。すると、空から何かがふってくる。
ゴロゴロゴロ。自由の女神の頭だ。
ジーザス」「オーマイゴッド」。
なかには叫び声もまじっている。


その場から逃げなくては行けない。
通りにでると、そこに戦車がいて、謎の生物目がけてドッカンドッカンと轟音をあげながら砲撃を始めている。
戦車と並行する歩兵は、ぶっとい銃で動き回る巨大生物のようなもの目がけて一斉射撃する。ドゴゴゴゴゴ。
後半には生物にむけてものすんごい総攻撃が行われる。
なんという迫力。なんどもうぉおおっと声を殺しながら一人で唸ってしまった。とにかくすごい。
(携帯の動画や、ハンディーカムカメラ(?)で撮影されたアマの撮影(という設定)で取られているので、
映像がグラグラゆれ、一点に落ち着かないのも特徴。
しかし、この「揺れ」がまた僕らにリアリティーを感じさせることに役立っているのはいうまでもない。)


っで、本作。
GODZILLAのようなSFパニックアクション映画なんだけど、なぜか感動的なのである。
それはなんでだろと、とぼとぼ歩きながら考えていたら、ピコンと閃いた。
それはきっと市井の人が天災によって翻弄される画をしっかり描いているからだと思う。
GODZILLA」や「インデペンデンスデイ」や「アルマゲドン」のような天災が襲いかかったとき、それに
対処するのは抵政府や軍隊の国を動かすトップであり、ごく一部の人間たちで行われる。(アルマゲドンは掘削屋だけど。)


一般人であるぼくらはそのカオスを体験することくらい。
そのようなとき、情報は人から人に伝達される口コミ情報が流れ込んできたり、TVなどで知らされる。
人々はわずかに集まる情報を元に推測を立て打ち手を考える。


「やばいなぁ。なんなんだよ、あれは。どうしよう。ここからどう逃げようか。すぐ近くにブルックリン橋があるから、
それをわたってマンハッタンから脱出しよう」と彼らは戦略を立てる。しかし、ブルックリン橋を渡っていると、
とつぜん謎の生物がやってきて、尻尾を一振りし、橋をまっぷたつに破壊してしまう。
ぐぎゃぁーー、と叫び逃げ惑う人々。


このような絶望的状況下で一般人がすべきことは、戦うことではもちろんない。
極力その圧倒的な殺傷能力をもった生物から一歩でも遠く逃れ、自己の生命を安全に確保できる地へ逃げ延びることである。
しかし主人公ロブらは一般人でありながら、その逆の道をゆく。


ロブが出世し、東京に栄転することになり、そのことが原因で別れた元彼女ベスがマンハッタンの自宅(超高級・高層アパート)に
閉じ込められてしまい、その彼女からSOSを求められたからだ。
仕事のためとはいえ、別れをどこかで悔やんでいた彼は彼女を救いに行くことにする。
「あんな怪物のいるところにもどるのか?」
一緒にいた仲間からは、当然制止しようとする声がとぶ。
しかしロブはまるで耳を貸さない。


かくして、元カノを救うたびが始まる。
この主人公らの行動は、僕らの行動そのものだ。


友人や家族、恋人。
親しい人が天災があって傷を追ったとき、どうする?
この映画はそんな問いを突きつけてくる。
そんなとき僕らがすべきことはなにか?119番することではない。(すぐに救急車がくるわけがあるまい)
もしできるならば親愛なる人を助けにいくことであり、その力(勝算)がないと判断するならば、なんとかして
救う方法を考えることだろうと思う。


本作が感動的なのは、元カノを救いに行くという英雄的行動をとる主人公らの姿だけではない。
ぼくらに平等に振りそそぐ天災という状況下におけるその振る舞い方に共感し、その連続性(行為、選択、決断)のうちに
感動を見出すのだ。