日記→「性格は環境できまる?」

怠惰な性格だと思う。
一日一冊の読書や、一日一回のブログ更新などを自分に課してストレッチをかけている
(もとい、かけようとしている)のだが、一日の終わりに味わうのはやり遂げたぞという
爽快なカタルシスではなく、挫折感がほとんどである。
(ブログはご承知のように。本も1冊なかなか読めない)


ちょっとしたネットなどで雑用をこなしていると、時間が文字通り「あっ」という間に
消えており、掟(blog upや英語の勉強など)が守れない。


まぁ、これでも昔を鑑みれば、すこしはマシになった。
小中高と死ぬ程退屈な学校をなんとかやり過ごし、チャリンコをすっとばして自宅に帰っては
ゲーム、ゲーム、ゲームの日々だった。


その点を考慮して考えれば、本を読んだり、英語をかじりだしているだけ、少しはマシになったのかもしれない。
世間にでていかに無知であることが恥ずかしいか、いまさら身にしみるのである。(こうした羞恥心が知識向上動機を
ドライブしているようにおもう。)
まぁ、内実は言葉や理想だけなのだけど・・・。


しかし、最近おもうのだがこうした「性格」(怠惰、勤勉、積極的、控えめなど)というものは、
先天的なものなのだろうか。後天的なものなのだろうか。


そりゃ、個人のパーソナリティーといったものは千差万別だろうし、そんなもんわかるわけないよと
さじを投げたくなるのだが、考えてみるには面白そうだ。
っで、この性格について面白い記述がされている本があったので、少し引用してみる。


<性格心理学の領域で性格をほぼ完璧に説明する因子として実証的に確立されてきた、ビックファイブ
と呼ばれる性格の五因子>というものがあるようだ。(「日本人の壁」中山治)


どのようなものなのか。


以下に箇条書きにして、列挙してみる。


1.外向性と内向性(積極的な性格と控えめな性格)
2.愛着性と分離性(親和的性格と独立自尊の性格)
3.統制性と自然性(アリの性格とキリギリスの性格)
4.情動性と非情動性(もろい性格とタフな性格)
5.遊戯性と現実性(ロマン的な性格と写実的な性格)


大別すればこの5つの因子によって、性格というものは説明できるようである。
・・・そうなのか。
まぁ、しかし、ぼくらが「性格」とよんでいるところはカバーしているようにおもうから、とりあえず
この五因子を性格・・として仮借してこう。


っで、この本を読んでいて面白かったのが、<国民性は個々の人間の性格の総和>であり<歴史も文化もまた、
人間の営みが作り出したものである。そうである以上、そこに人間の性格が反映しないはずがない>という主張。


国民性はある国民に共通してみられる気質や性格と辞書には記されている。
ぼくら日本人は昨今より「勤勉で、努力家である」といったイメージを諸外国にもたれているけれど、
実際のところ「そうだね」とこれにうなずくひとは少ないとおもう。


では、その国民性はなにによってできるのか?

(前略)国民性はその多くが明らかに環境の所産である。国民性は素質より、環境によって「作られる
もの」なのである。ことに統制性と自然性はそうである。だから、統制性、すなわち「アリの性格」は
「作られたもの」であって、人間の本性は自然性なのである。キリギリスが人間の本性なのである。人間が
科学技術を歓迎してきたのも、それがキリギリスの生活を保証してくれるからである。奴隷の代わりに、
機械が仕事をしてくれるのが科学技術文明なのである。(p97)


ここでいう「統制性」というのは、イソップ物語でいう働き者の「アリの性格」であり、「自然性」は
「キリギリスの性格」である。
「アリ」は向上心が強くよく働き、「キリギリス」は楽天的でのんびりしていると僕らが記憶している
あれである。


中山氏は人間は環境的なものに強いられることがなければキリギリスのまま人は過ごし、辛い現状
から抜け出さないとしんどいと環境が強いるときはアリのように勤勉になると主張している。
(そこから日本人=勤勉であるという等式は間違っていると喝破している。)

人間の勤勉さは社会環境によって左右される。(中略)勤勉な国民性は、勤勉にさせる社会的装置が
働いているから勤勉なのである。日本でも、人々を働かせる社会的装置がいかに強力に働いていたか、
江戸時代を見ればすぐ分かる。江戸時代は士農工商の階級社会であった。支配階級であった武士と被支配
階級であった農民とでは、勤勉さにおいて同じ国民とは思えないほどの違いがあった。
(中略)
宮古島では、支配階級たる士族は武力を背景に農民から人頭税を徴収していた。人頭税とは、人間の頭数で
決まる税金である。昔は「貧乏人の子沢山」という法則が働いていたので、貧乏人はますます貧乏になる
税制であった。(農民の生活は悲惨を極めた。掘っ建て小屋に住み、粗末な服装をし、さつまいもとその葉っぱ
が主食だった。栗などたべられなかった。一年のうち、半年近くは税金を納めるために働かなければならなかった
からである。(同書 p101-102)


環境が人を勤勉、勤労にすると氏はいう。
しかし、生存するにはやらざるをえないからやるといったほうがより近いように思う。


これほど悲惨な状況はいまの日本ではあまり考えられない。
とりあえず働いていればほどほどの生活といったものが、いまのところまだ保証されているように見えるし、
今後もそれが続くようにみえる。


しかし、「フラット化した社会」「富の未来」「ウィキノミクス」「「ロウアーミドルの衝撃」などといった
先の経済を予測する本を読んでみると、いかに世界各国がしのぎを削って優秀な製品を開発し、上昇しようと
しているか思い知らされ、その狂気に近い努力に驚かされる。


このまま日曜のよるにサザエさんをみて、友人とファミレスいってご飯を食べるという生活スタイルを続けている
だけではまずい。そういった危機感をいつのまにかもたされてしまう。


人はやばいぞ、このままじゃ気持ちよく暮らせないぞ自覚するときに「アリ」さんになるという。
もし何かにたいして努力しなきゃいけないんだけど、なかなか思うように行かないというときは、
上記にあげたような本を読んでみるのも一つの策として有効かもしれない。


そして読書するという営みは、そうした危機感をもち緊張感を持続させるための「装置」として
使えるように思う。というわけで、読書を続けていきましょう。(自分への叱咤です。)

日本人の壁 (新書y)

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