読書→「中原昌也 作業日誌 2004→2007」

中原昌也 作業日誌 2004→2007」


中原氏の生活スタイルにまず目を引かれる。
愚痴、弱音、といった言辞のひっきりなしに続出し、著者の精神状態が気になる傍らで、
音楽CDや映画、DVD、本に対する欲求、蕩尽していくお金が半端ではないことに驚かされる。


仕事してやっと入った原稿料や印税が振り込まれれば、その足でタワレコやUNIONに買い物にいく。
そして金を消費する。


貯金の話しが一切出てこないところをみると(150ページほど読んだ所では)、よけいその凄みがます。
入金→消費→原稿執筆。この繰り返しの自転車操業のようだ。
(食費にほとんど金を使わず、大半は映画、音楽関係に消費されている。ご飯はコンビニ弁当や吉野家など
がおおい。金がないときは、麦茶で食欲をごまかすスゴ技を繰り出す。)


まさに綱渡りのような生活。
すごい。とてもまね出来ない。
もちろん皮肉っているのではないのではない。
ただただその姿に驚嘆させられる。

<8月17日
 鬱屈しまくって在宅の鬼。
 amazonからストゥージズ1st2ndのリマスターが届く。あまりにも精神的に辛くて大音量でこれらを何度も繰り返し
聴いてやり過ごす。ジョン・ケイルMIXやらシングルバージョンなど初耳なのも多い。
 

 8月18日
 在宅に終始。
 いきなりウーヴン・ダズン・ジャク・バンドとかデイヴ・ヴァン・ロンクの『ラグタイム・ジャグ・ストーンズ』とかばかりをくるったように爆音で聴きまくる。勿論、ジム・クウェスキン関係も。ようするにジャグね。こういうのを爆音で聴いてると金と女に不幸なまでに縁がない人生をクヨクヨしている毎日がだんだんバカらしくなってくる。どうせなにもかもみんなクズだ。失せろ。


 8月19日
 入金があったので、速攻新宿UNION。
とにかくCDとレコードをわけがわからないほど買いまくって、それを家で聴いていないと、まともに生きていられないとしみじみ実感。最悪なライフスタイルなのはわかっている。
 あとDVDネット通販店よりアルトマン『ロング・グッドバイ』あとおまけで『ドクター・モローの島』も。『ロング〜』は歴史に残る名吹き替えが収録されていないのが強烈に不満だ。単なるメーカーの怠慢だろう。(P148)


こういう人をきっと「非凡」と形容するのだろう。
いや、「普通」はしないか。(笑)
しかし、保守的な自分は強い衝撃をうける。


・・・っと、ここまで持ち上げていうのも何だが、正直申し上げて中原さんのようなライフスタイルによる弊害(貯金無し、彼女無し、お金無し)は陥りたくないし、遠慮願いたいものではある。
ただ、この方の生き様はどうしようもなくかっこいい。
その嘆きや苦悩といったネガティブなものをぜんぶひっくるめて。
なぜかっこいいのだろう。
そりゃ戦っているから。

< 中原昌也は何と戦っているのか?SEX禁止令を志向する狂える権力者石原慎太郎だろうか?
代理店系作家「石平」だろうか?もちろん彼らは品性下劣な最低最悪の連中であり、地獄で裁かれるべきものだ。
だが彼らを撲滅するために戦っているのであれば、それは正義の人である。中原昌也の闘いはもっと多いなるものだ。慎太郎を撲滅するだけでハッピーエンドが来るわけではない。中原は石原慎太郎一人ではなく、世にはびこる慎太郎的なるものすべてを妥当しようとしている。それは長く果てしなく孤独な闘いだ。

(中略)

 中原は単なる“趣味”として映画や音楽が消費されることを最も唾棄しているからこそ、こんな消費行動を続けているのである。これは自分に科した責め苦であり、映画が趣味として(いい趣味として、あるいは悪趣味として)鑑賞されてそれで終わりになってしまうことに抗うための闘争なのだ。快楽を求めていると、必然的に自分の世界は狭くなる。自分の世界を広げるためには、趣味を越えた世界へ分け入らなければならない。頭ではわかっていても、つねにやりつづけるのは途方もない労苦である。人生に快楽以上のものを求める求道者でなければ、そんなことはやっていられまい。>(by柳下毅一郎 映画秘宝 6月号 p103)


政治や歴史といったものに関して、僕はあまり興味がない。
だが、それを知らなければならないとは思う。
「快楽」といった点から考えれば、それは不要な事柄であり、気にもとめなくてOKな存在ではある。
だが、「快楽」を感じられる領域をいくら走り回っていても、自分の世界は広がらない。そこには一つの領域を越えるという行為が必要であり、不可欠である。その行為に伴う「不快」に耐えるには、ぐっと耐える努力が必要である。その努力を通じて、自己の世界を見る目は徐々に変移し、涵養されていく。
眼が育つと言い換えてもいい。これは快楽に身を任せているだけでは得られないことだ。


常にこれを続けていくには、「楽」なものをよしとしない自己内的倫理が必要である。
24時間つねに付き合っていくのは、当然とてもしんどい。だからときどき(じゃなく、頻繁に)愚痴が口を衝いて出る。それが辛苦の生を生きている証左であり、中原昌也さんの人生なのである。


ぼくが本書から見出すのは、湯水のように金を使う消費家・中原昌也ではなく、一人の男が人生とつねに対峙し続けるファイティングポーズなのである。
そこがたいへんにかっこよい。たとえ女性にモテず、金がなくても。
・・・なんていったら、中原さんはそんなたいしたもんじゃない、いいもんじゃないっていうだろうけど。
そこがまた最高なんだけど。


中原昌也 作業日誌 2004→2007

中原昌也 作業日誌 2004→2007