読書→「論理で人をだます法」
どうも、ごぶさたしてます。
10日ぶりくらいかな?もっとか。
まぁ、そんなのはどうでもいいや。
じゃあさっそく復活(何度目?)第一号いきたいとおもいます。
本日はは本の感想文&ちょこっとご紹介。
「論理で人をだます法」
なんだか、すっきりしない。
言いくるめられたような気がする。
しかし、どこがどうおかしかったのか、そこがわからない。
「論理で人をだます法」は、そのおかしさを意識し、反論する力を養うための基礎知識を提供し、
それらを涵養するための種を与えてくれる論理集といったかんじの本。
では、さくっとご紹介。
より大きな悪の虚偽/ポリアンナ的解決
「骨を骨折したのはアレだけど、元気だしなさいよ!目が見えなくなるよりましじゃない」
「事故で車が歯医者になったって?怪我しなかっただけありがたく思えよ」(論理で人をだます法)
こうした思考法は、実際に起きたことによるさほど悪くないもののように緩和させる効用がある。
原チャリを盗まれたとき、母にこう言われたことがある。
「あんた運よかったわね。事故にあうよりずっとよかったじゃない。ほんともうけものよ」
サンキュー、マミー。うるうる。
ただ、忘れちゃならないのは、起きた惨事から美点を見つけ出すことによって、事実をねじ曲げ、
真実から目をそらしてしまうこと。ここには気をつけたい。
「すべて」の虚偽
「すべて」などの絶対表現を使った話しをすることはよくある。「すべて」「みんな」「何もかも」
「常に」「必ず」「絶対に」「誰も」「ひとつも」。でもそれが文字通り真実であることはほとんどない。(同書)
「あいつはいつだって金を出したがらない。この間だって宅飲みするためのいった買い出しで、金出さなかったし。まったく」
自分だけ得しようとしている点で、指をさされているのは妥当かもしれないのだが、真にケチなのかというとそれは
わからない。寝たきりの母のためにコツコツとお金をためて、送金しているのかもしれない。
「いつだってケチだ」という友人に対する評価(断定)は、ほぼ間違いないのかもしれないが、それはケチという言葉を
狭義に定義しすぎているかもしれない、という可能性は捨ててはならない。
善行のため、なくなく彼は金を出し惜しんだのかもしれないから。…なんてね。
排中律/「2つにひとつ」の虚偽/「白か黒か」の虚偽
排中律、または、「2つにひとつ」の虚偽とか「白か黒か」の虚偽とも呼ばれる。
「私の提案に賛成するかしないかの2つにひとつだ」と言うとき、実際には提案の
一部は賛成でも全部は賛成できないこともある。
(中略)
この「オール・オア・ナッシング」の虚偽は、状況を極端な話しに還元してしまう。スローガンはしばしばこの虚偽を
使う。「アメリカを愛せないなら出て行け」「銃所持が犯罪になったら、犯罪者だけが銃を所持する」などなど。(同書)
二元論的思考はやめよう。
これはあまりにも物事を単純化させてしまうし、そのことによって、物事を深く考えられなくなってしまう。
「わたしのこと、スキなのキライなの。どっちなの。はっきりしてよ」
いや、それがはっきり区別できるようなら、苦労ないんすけど・・・。
このような事例が150あり、日頃使われている論法の発見がいくつもある。
本書を読み通すと、随分論理にかんして意識的になるようになれる。
防衛術としても有効だと思う。
ってことで、おすすめ。
まぁ、これが高じて「それはナンセンスだ」なんてことをいつも、「あんんたウザイんだけど」といわれるので、
とうぜん扱いには要注意だけど。
- 作者: ロバート・A・グーラ,山形浩生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2006/02/07
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