読書【ぼくのものはぼくのもの?】→『小室直樹の資本主義原論』

小室直樹さんが書いた『小室直樹の資本主義原論』を読む。


よく「資本主義がなんたらかんたら」とかわかってる風にいってるけど、じつはさっぱりわかって
なく適当なことをいってたので、ちょっと指摘されるまえにお勉強しておこうと思いまして。
えぇ、勤勉さ(!)だけがとりえですんで。


で、この本。
タイトルだけ聞くとものすごいガチガチな印象をうけるけど、実際中身はぜんぜんそんなことない。
とにかく理路整然と資本主義とはなんたらかんたらと説明してくださっているから、大変わかりやすい。
たしかに難しい言葉(=名詞)をよく使われはするけど、ルビが振ってあるので辞書をひけば問題にはならない。
語彙もゆたかになってちょうど良い。


っで、ここで初めて知ったんだけど、資本主義の要諦は「私的所有権」らしい。(なんのこっちゃ?)
これってみんな知ってることなのかな。
無学な自分にはこのお話がたいへんおもしろかった。


資本主義社会では財(=商品)を「だれがもっているか」が重要なんだよね。
その商品をもとに交換が始まり、剰余価値(利益)が生じて、・・・っていう経済活動が始動するわけだから。
商品の所有者はだれか。これが資本主義ではキーになる。


じゃあぼくら日本人はどのように所有権というものを考えてるだろう。
たとえばの話し。
マイ本棚には本やDVDが並んでる。
久々に遊びにきた村木君はそこに陳列されてる『40歳の童貞男』(名作!)にこころ強く惹かれ、
ぜひ貸してくれと熱望された。仕方ないのでしぶしぶ貸してあげた。


そうすると、その所有権はだれのものになるだろう?


「あんたバカか?そりゃ、あんたのモノだろうよ。」


えぇ。ぼくもそう思ってましたとも。実際、そうでしょう。
ただ、なんかいいづらくありません?


「ごめん。まえに貸した『40歳の〜』だけど、あれ、木村がどうしても貸してほしいって
いってんだよね。悪いんだけど、そろそろ返してもらえないかな」
みたいに、謝罪しつつ下からお願いしたりしません?自分のモノなのに。
で、借り手は「まぁ、そこまでいうのなら、そろそろ返してやってもいいかな」みたいに、
上から返還依頼にこたえたりしません?


これってちょっとヘンだよね。


なぜこんな卑屈&尊大な関係になってしまうかというと、それは日本人の所有権にたいする考え方が
まだ未熟な(っていうか資本主義的じゃない)ところに原因があるみたい。


日本では「現実支配が所有(者)である」という考え方が根付いてるんだって。
つまり、いま手元にもってる人がそれの所有者であるということ。
だから自分の手元から現物が彼の手に渡ったところで、所有権を失ったような気がしてあーいった
なさけないこといいだしちゃうらしい。
たいしてアメリカなんかは別。あちらの資本主義国は論理性が重視される。


ディカプリオが演じてハワード・ヒューズの伝記もの『アビエイター』って映画があったけど、
あれでは彼は石油で金持ちになった父が亡くなり莫大な遺産を相続することになる。
だけど、あの時かれはまだ18歳。とうぜん周囲を囲む親戚やら重役やらが余計なアドバイス
する。ぼっちゃんはまだお若い。ハーバードでもいってお勉強してきてください。その間、我々が管理してますから。ふふふ。
でも、ディカプーは「これは俺のもんだ。てめえら手を出すんじゃねぇー」と撥ね除ける。威勢がいいぼっちゃんである。
伯父さん伯母さんは当然怒った。バカ言っちゃいけません。子どもにそんな大金扱えるわけないじゃないの。
じゃあ出るとこでましょ。裁判で決着だ。
トントントン。
判決がくだる。勝者、ぼっちゃん。


なぜこうなるのか。それは向こうは論理を重視する社会だから。
論理的におっていけば、「オヤジが死んだ→相続者は俺だ→遺産はぜーんぶ俺のものだ」となる。
論理が尊重されれば当然そうなる。


けど、日本のように現実支配が所有者であると考えられてるところでは結果は異なる。
著者は忠臣蔵を例にひく。


よく知られた一場面。内匠頭切腹、お家断絶、城地没収と決まった。その後での藩士大会。
城や屋敷やその他の不動産は将軍綱吉に没収されることになった。では、お金などの動産はどうする。
 ご存じのとおり、城代家老大石良雄は、お金を藩士のあいだで分配してしまったのであった。これをどう見る。
公金横領ではないのか。
 内匠頭切腹後、浅野藩に残されたお金の所有者はだれか。綱吉か、瑤泉院か、浅野大学か。この頃、動産相続
(あるいは没収)に関して決まったルールはさだまっていないからたしかにわからない。だが、可能的所有者は、
どう考えても、この三人の他にはあり得まい。どう考えても、家来どもが所有者ではあり得ない。
 それなのに、可能的所有者に一言の相談もなしにお金を山分けしてしまうとは。横領である。横領の首魁は、
大石良雄である。
(中略)
四七士ストーリーは、日本的所有概念を如実に立証しているという意味で格好である。浅野藩に残されたお金の
所有者は、綱吉か、瑤泉院か、浅野大学か。でも、これは論理である。現実に、当該のお金を右三者は占有して
いない(支配していない)。占有しているのは浅野の家臣どもである。ゆえに、彼らはこれを山分けした。
(『小室直樹の資本主義原論』p82−83)


怖いもんだなぁ。
盗んだ者勝ちみたいな思想じゃん。


そういえば、内田樹先生の本を弟に貸してあげたら、青いボールペンで線をびっしり引かれて返されたことがあったっけ。
お気に入りの本だったから、なぜこんなことをしたんだよと厳しく詰問したら、「へっ、なにか問題あった?」くらい
に驚かれた顔をされた。・・・根強くのこってんだね、この考え方は。


所有権なんて概念についてたまに考えたことがあったので、(たとえば、本を床に落としてしまって、おこっらしょと
拾おうとしたとき、横からそれをぶん取ったヤツがあらわれたらどうなるんだろう。
「あ、すいません。それ俺のです」といっても、「バカ言うなよ。これはおれんだ」と逆ギレかまして反論されたら、
どうやって自分のモノだと立証したらいいんだ、なんてことを考えたことがある。あぁ、マイナス思考)これを聞いて
なるほど〜と深く納得させられた。


だからといって解決にはならんけど。


いやぁ、おもしろいなぁ。ね。おもしろいよね?
えっ。そう。ふーむ。…それは残念。
いや、ただこれを言いたかっただけなんだけどさ・・・。


小室直樹の資本主義原論

小室直樹の資本主義原論