日記→『ドラッガーと師匠』

糸井重里さんがHPで「若い人はドラッガーを読んだほうがいい」とおっしゃっていた。
素直にそのアドバイスに従い『断絶の時代』を書店で購入して読むことにする。


すらすらすら。


う〜む。やはりドラッガーはすごい。
ドラッガーの著書は『経営者の条件』や『創造する経営者』をさらっと読んでいたので、
どれだけスゴいのかわかっていたつもりだったが、甘かったね。
本書は鋭い箴言、卓見、金言の宝庫。
情報の含有量の潤沢さに驚愕させられる。ちょこっと引用してみる。

学校教育の延長がもたらした最悪のものは、学位の有無によって人を差別するという学歴の壁で
ある。
(中略)
 今日すでに普通の仕事さえ高卒以上に限定している。いわんや中学を出られなかった十五%から
二〇%という膨大な数の人たちに対しては、知識社会における市民権を拒否するにいたってる。
(中略)
 学歴の高くない者には機会さえあたえないということは、能力と行動力をもつ無数の人たちに対し、
成果をあげ社会に貢献するための道を閉ざすことを意味する。しかし純粋に学問的な仕事はべつとし
て、学校での成績と仕事での能力とは関係がない。
 卒業証書は長期間学校に通ったこと以外のことは何も意味しない。(『断絶の時代』p332−333)


この本が記されたのは一九六九年であり、いまから約四十年もまえのことである。
現在の日本では、まだまだ学歴至上主義的思想は残っている。ぜんぜん学んでないってことね。
(だいぶ排除する方向には動いてきているようだけど)


ドラッガーが指摘しているように「学歴」による採用基準は大きな弊害になりえると思う。


中原昌也氏は中卒だけど、芥川賞作家でもあり、映画評論家であり、ミュージシャンでもある。
どの分野でもファンから愛されている多才な方である。


しかし、もし中原氏が突如いまの仕事を全てすてて、企業就職をこころざしたとしたらどうなるか。
とうぜん企業側はその採用基準からいって書類審査すら受け付けないことになる。
だって発送する以前にその履歴書はゴミ箱行きが決定してるんだから。
でもこれっておかしいよね。だって実際成果をあげているんだもん。中原さんは。


学歴はいままでそのひとが何をしてきたのかを知る指標にはなり得ると思う。
しかし、今後何十年も先まで、彼がどのような仕事をし、成果を挙げるのかを学歴一つとって測る
ことはやはり無茶だとといわざるをえない。そして、学歴差別によって能力のあるひとが社会から
排除し、その人たちから働く意欲を削ぎとり、生産性を向上させることに貢献できたであろうひと
たちをのけ者にするような基準を採用していたことは、やはり愚考だとしかいいようがない。


ドラッガーは当時から指摘していたんだから、すごいよなぁ。
他にも、教育論や知識社会論(これすごかった)にまで言及されていて、いかに働くかを沈潜する
上での格好のテキストといってしまっても過言ではない気がする。


さすがドラッガーである。
それを推薦する糸井さんに感謝しなくてはならない。
(糸井さんて、すごく簡単なことばをつかって、ものごとの本質をずばっと言い当てちゃうよね。
 すごい才能ってすごいよね。)


しかし不思議に思うのだけれど、なぜいつも敬愛している方がすすめる本は毎回「アタリ」なのだろう。
ほんとに不思議である。ハズレたためしがない。


「あの方が推薦されるのだから、よほどすごいことが書いてあるにに違いない」


本を読みはじめようとするとき、読者にはそういった思い込みがある。
そして読者は「で、この本は結局何が書いてあるの」といった根本的な問いを抱えつつ、同時に「あの方が
すごいと誉めている点はどこだろう」と宝探しをするような文脈でも読み始める。
つまり一度で二度おいしいおもいをしようという欲ばりな読み方をスタートさせる。


そして読書中、必ずやハッとさせられる箇所を発見し、「さすがわが師匠」と師の知性の高さ、教養の深さに
再び感心させられ尊敬念を強め、同時に深い嘆息をもらすのである。うわぁ〜、すげぇなやっぱり、みたいに。


しかし、その現象に酔うのははどー考えても読者の一人相撲である。
だって我が師は自らが「ここだ!ここをよめーい」と直接指示していたわけではないんだから。
敬愛する方、もしくは師匠と仰ぐ方は「あれには結構いいことが書いてあるよ」とただ気楽に気にってるDVDを
貸すくらいのノリで推薦されただけである(場合によるだろうけど)。
もし「ここが師が重要だといってた根拠なんじゃないのかな」と全身が鳥肌でぶわっと震えるほどの驚きの知見を
発見したとしても、それは自分が勝手に発見し驚いたのであって、師匠によるものではない。
しかし師を自分の頭の中に置き仰ぐ者にとって、視野狭窄されたある種の妄想的読み方が生じるは必然であり、そ
れから逃れることができない。


「先生がわざわざ推薦するのだからから、きっとそこにはなにかあるに違いない」


このような妄信的的妄想だけが、読み手の学習意欲を通常以上に亢進させ、当人が通常では得ることができなかった
知見を勝手に持ち帰ちかえらせるのである。
これは「師」を仰ぐことの効用といってもさしつかえないんじゃないだろうか。
師と仰げる方がいるってことは、ありがたいことであります。はい。

ドラッカー名著集7 断絶の時代

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