日記→「心の平安は、欲望の棄却によって生じる」
人々が夢中になって騒ぐもの、それを手に入れるために躍起になって奔走するもの
――――そうしたものは、彼らに何らの幸福ももたらさない。奔走している間は、
その渇望するものの中に自分らの幸福があると思っているけれども、それが手に入
るや否や、彼らは再びそわそわしはじめ、まだ手に入れていないものを欲しがり、
人が持っていれば羨ましがる。
心の平安は、いたずらなる欲望の充足によって生ずるるものでなく、反対にそうし
た欲望の棄却によって生ずる者である。もしそれが真実であることを確かめたいと
思うなら、そうした空しい欲望を満足させるために君が今日まで注いできた努力の
半分でいいから、それらの欲望からの脱却にそそ意でみるがいい。そうしたら君は
まもなく、そのことによってはるかに多くの平安と幸福とを獲得することができる
ことを発見するであろう。
(エピクテトスによる)
(『文読む月日』上巻p29)
何度文章を推敲してもどうにもならないモノにしかならなかったので、本日は名著
から「これは」と思う金言引用して、解釈を述べるものに変更。
で、この警句は家宝ものだと思う。
エピクテトスさん、いいこというなー(←ところで、だれこの人?)。
先日、日本発売が発表されたIphoneしかり。
○○限定商品しかり。
友人の間で大人気の女の子しかり。
ほんとはたいして必要でもほしいものでもないのに、手に入れたいと
欲してしまうことがある。
どうしてもほしい。
この欲望に火がついた状態から脱出するのはご経験ずみのとおり非常に困難。
いろいろ情報をあつめたり、あーだーこーだ目的のものを入手するために戦術を練ったりする。
もう脇見すらしない。視野狭窄状態。
でも、ふとしたときにちょっとそこから自分を切り離して考えてみると、はたといらないものを
追っていたことに気づく。
いまのままで十分幸せじゃん。ほんとに必要なものって、そう多くはないじゃん。
これに気づいちゃったら勝ち。もう冷静さを取り戻しているから、再び火を注がない限りは安泰。
問題はたいした必要性を感じていないことを自覚しているにもかかわらず、無闇に欲しがること。
この状態に入ってしまうと脱出が難しい。
たとえ「いらないんじゃない、ほんとは?」という自意識からのツッコミがはいっても、
「うるせー。おれは欲しいんだ」と強引に押し切ってしまうところがある。
うすうす「いらないんだ」ってことを意識できてるんだけどね〜。あぁ、ほんとにバカ。
そんな過ちを何度も繰り返してしまうバカものの自分への戒告として掲載しておく。
- 作者: レフ・ニコラエヴィチトルストイ,北御門二郎
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