映画【DVD鑑賞】→『河童のクゥと夏休み』

クレヨンしんちゃん モーレツ大人帝国の逆襲』を撮った原恵一監督の最新作が
DVDでリリースされていたのでレンタルする。
う〜む。これはまた泣ける作品である。


江戸時代、公共工事によって懐を耕そうとしていた役人に父河童が川辺で低頭平身
して「どうか住処を奪わないで欲しい」と工事中止の依頼する。が、悪巧みしていた
話しを告げ口されることを恐れた彼は、川をはねた魚の物音にビビッて斬り殺してしまう。
あとに引けなくなった侍は、父の様子を見に来ていたクゥの命まで奪おうとする。
が、タイミングよく大地震が起こるり命からがら生き延びる。しかし、地震によって
大地に裂け目が生じ、そこに落ちてしまったクゥは現代まで化石のごとく眠りにつくことに。
それを偶然康一少年に発見され、康一一家と暮らすことになるのだが・・・。



自然を破壊し効用(自分がハッピーになること)を最大化しようと試みるのは
古くからの人間の行動パターンである。
そういえば『平成狸合戦ぽんぽこ』もこれをモチーフにした作品じゃなかったっけ。


原監督は河童と人間を対置させて、人の業の深さを浮彫りにする。
父を人間に切られても(康一に)助けられた恩を礼儀を尽くして感謝する河童に比べて、
なんと人間の傲慢なことよ。
康一少年は雑誌で見つけた「河童の里」なる岩手県遠野市まで河童を探しを手伝うのだが、
そこでは河童は見せ物になっている。
現地についてみると、そこは観光客だらけ。
川のほとりには24時間無人撮影可能カメラが設置されており、、河童の出現をいまかいまか
とねらっている。撮影された写真はインターネットで見られることになってるんだとか、お役所
の職員らしき人物は観光客に宣伝しており、「河童発見者には1000万円」とまでいってる。
珍しいものには価値が生まれるのが資本主義だからね。なんら不思議でもない。
しかし、このときすでにクゥを家族の一員として認識している観客は、河童を見せモノにしたて
ようとするモノたちの愚かしさに憤りを覚えると同時に、自分もその社会を生きる一員であるこ
とに羞恥心を感じさせられたりする。


それは後半でも描かれる。


河童の里から返ってきた康一は、自宅まえでとつぜんカメラマンらに前方羽交い締めをくらわ
される。リュックの中にいるクゥの写真をとるために強硬手段をとったよ。かれらはリュックを
強引に開け、被写体(=クゥ)の許可などなしにフラッシュをバンバンたいて喜々として特ダネを
撮影する。外道カメラマンとはかれらのことである。


その世にも珍しい写真はとうぜん週刊誌に大きく掲載され、世間の注目を浴びる。
とうぜん康一一家は芸能人の浮気問題発覚時のごとくの大注目を浴びる。
メディア関係者は他社に遅れを取らないために公道に車で乗り付け、24時間態勢で張りこみ
シャッターチャンスを待ち続ける。玄関から住人が出てくれば、マイクを突きつけ質問攻め。
すべて食い物にしてしまうあたりが怖い。
ここでは現代のマスメディアのあり方であり、珍しい観察対象を人権など排斥して映し出す
ことで、その情報を喜悦した顔で消費する愚者を描き、人間の行き過ぎた品性下劣な好奇心を
批判している。


しかし、罪人はメディアやその他大勢だけではない。
クゥを家族として向かい入れていた家族もやはり同じ人間であり、自らのエゴから過ちを犯してしまう。
ここまでしっかり描ききるところがえらい。
ほかにも、愛犬「おっさん」の涙なしにはみれない元飼い主とのエピソードや(ここが一番泣けた)、
クゥをまもるために友人にも見せなかったことが原因でイジメられるようになるなど、人間社会で生じる
諸問題をリアルに追求する原監督の仕事ぶりに感服してしまう。後半はボロボロ必至ですよ。
未見の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』もみようかな。


しかし、この作品をアニメだからという理由だけで排斥する方もいる。
「アニメ?じゃ、いいや。たいしたことないし」という感じで。
だが、それは勘違いというものである。
「表現する形式」と「表現されるもの」はそれぞれ別の問題であり、各々論じられるべきものである。
その論理でいけば『バガボンド』を「マンガだから」という理由でバカにするのと同じことである。
ほんとにそれでよろしいのか。
そもそも実写が高級なもので、アニメやマンガが低級でなものであるという主張には
正当な根拠はなにもない。アニメ=低俗というのは、社会的通念による偏見でしかないのである。


というわけで、アニメへの偏見がある方も是非。

河童のクゥと夏休み

河童のクゥと夏休み