読書→『統計数字を疑う』経済効果って実は…

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? (光文社新書)

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? (光文社新書)


「経済効果」というワードをきいたことがあるだろうか。
いや、そういった質問をすること自体おろかしいことだ。
新聞やテレビをちらりとでも見かけたことがある人ならば(全員じゃん)耳にしたことがある言葉で
ある。
それほど膾炙している言葉である。
さて、お金の動きを想像させる経済効果だが、あれはシンクタンク(頭を資本として商売をする企業
や研究所)が発表しているもののようで、クリスマスや父の日、母の日、バレンタインなどといった
イベントが、日本経済にどれだけのインパクトを与えたのかを金額や増減率で表したものらしい。


これを『統計数字を疑う』という本が扱っており、面白いことが書いてあったので、ここに記してお
こうと思う。


経済効果というと一、二年ほどまえに倖田來未が爆発的ヒットを飛ばしていたとき「経済効果100
億円」と言われていたのを思い出す。100億円もだすたぁ、スゴいお人なんだなぁと感嘆した覚え
がある。きっと彼女のCDを購入した(またはレンタル)人々は、彼女の出ているTVをみて、ファッ
ションをマネなどするのだろう。そしてこの倖田ファンが音楽・アパレル産業にもたらしたお金は、
企業から給料という形で従業員に行き渡り、それを彼らがまた別の方面にて消費し・・・という展開
を見せただろう。であれば、それだけのインパクトをもたらした(はずの)倖田來未というアーティ
ストは、ファンにとって歌やファッションだけじゃないスゴイ人物であると脳裏に強い印象を刻んだ
のではないだろうか。


そんな思わぬイメージ効果までもたらす「経済効果」だが、これをクリスマス時期における経済効果
などといって発表するやつらアホだって著者の指摘が面白い。いや、ま、もうちょっと遠回しにいっ
てるけどさ。
それはなぜか?

プレゼント代や宿泊費、それに食費などイベントを楽しむために生じるもろもろのコストはすべてGDP
(一年間に日本国内でどれだけモノが生産され、サービス取引が行われたかを集計した統計)に含ま
れている。だから新たに発生した出来事ではなく、もっといえばなんら追加された消費額ではないか
らである。


なるほど。
指摘されてみればその通りである。
GDPは一年の取引を集計したものなのだから、当然その中にイベントにおける経済効果も含まれて
いるに決まっている。
ただ一般人は小難しい数式やデータを元に計算されたのだなと勝手に想像し盲信、っていうか、与え
られたデータをツッコんで考えるのが面倒なので、「100億円!へぇーすげぇんだな」とそのよう
な解釈に身を任せてしまうんだよね。


話しはまだ続く。
この経済効果の算出には「代替効果」を勘定にいれていないこともあるらしい。


代替効果ってのは、商品の相対的な価格が変化したため需要量が変化する効果のこと。
なんだ、この教科書的定義は。まったくもってわかりづらい。
こういったときは、やはり物語で考えるとわかりやすい。
まえまえから気になっている女性を彼女にしたいと企んでいる男がいる。男は女を落とすために話題
のディズニーシーに連れて行こうと考えている。が、このたびお台場に話題のアトラション施設がで
き、さらにそちらの方が一日遊んでもディズニーシーよりお得なのだとご親切にTVで大々的にアナ
ウンスされいたのを偶然みみにした賢慮な男は、既存のプランから翻意してお台場に行くことにした。


ケータイ小説に出てきそうなまことにチープなストーリーであるけれど、まぁ、ありそうなはなしで
はある(ないか)。
が注視すべきは、そこではない。
カップルがディズニーシーにではなく、お台場にお金を落としたことによって「経済効果」に計上さ
れるのかもしれないが、全体的にみれば、落とした場所の違いでしかないってところであり、そこで
消費されたことによって多方面での消費が抑えられるという点である。
もしかして効果などなく相殺されてしまうことだってあるんだろうから。それを考慮せずに、「お台
場の新アトラクションで経済効果◯◯億円」などと謳うこと自体、おかしなことだといわなければな
らないのではないか。


ようするに(発表する側にとって)プラス面にだけフォーカスして、マイナス点には触れずに置こう、
とそういった目論みがこの意図的な隠蔽の背景にあるのだろう。
で、著者の結論はこうなる。

結論から言えば、「経済効果」と称して発表される諸々の数字を、まともに受け止めてはいけない
ということだ。
 まず、「経済効果」を算出するにあたっての出発点、新規需要の推計において、すでにフィクショ
ンが入っている。「推計」という以上、「事実」ではないのだ。必要なデータがすべて揃うわけでは
ないので、「これこれしかじかの前提条件を置いて試算した」などの注意書きが入る。
 (中略)
 思いつくままに「これぐらいの経済効果が発生しますね」と言っているのと大差はないのである。
(『統計数字を疑う』p115)


なんだおれらのてきとーな予測と変わらないんじゃん(笑)。
なんのために発表してんだよ。
すかさずツッコみをいれたくなるこのような懐疑の仕方は、ことの本質を突き詰めるグッドな質問で
ある(自分でゆーな)。


ネタバレをしてしまえば、シンクタンクが「経済効果」を公表するのは自己利益のためである。
シンクタンクは大手の金融機関から多額の財源を受け取り調査業務を行っていて、であるから大元の
親会社の金融企業は取引先にあたる。
子は親に弱い。
するとシンクタンクの存在意義(の一面)はマスコミに親会社の名前がついた調査レポートが取り上
げれることであり、それによって宣伝費フリーで親会社のブランドイメージを高めることになる。
となれば、都合の悪い部分は黙して良い部分を全面に出すに限りますな。そのためには、レポートの
質は犠牲にしてもマスコミが食いつくようなオモシロネタを提供するほうが得策となる。と、そんな
構造なんだそうな。
倖田來未の100億円の件も、背後にはこういった企みがあったのかなと邪推してしまう。
まったく大人社会は闇である。
ふは。
いいすぎた。


いずれにせよ、ぼくらに快く無償で提供される(に限らないけど)「情報」にはどのような操作が加
えられているかわからないから気をつけようね、ということは言えそうである。
本書は統計数字がどのように役立つのかを論じた書物ではないので、「どのように役立つのか」につ
いてはできない。
が「どう活用されてるのか」のダークサイド的側面(統計を用いた企みや狙い)がわかるものにはな
っている。
社会経済の仕組み、また情報リテラシーを高めたい人にはオススメしたい一冊。


統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? (光文社新書)

統計数字を疑う なぜ実感とズレるのか? (光文社新書)