読書→『知識だけあるバカになるな』
偽善系の論者が跳梁跋扈しているTV(とくに『王様のブランチ』のイケメ
ン俳優司会者。あの爽やかな笑顔で心にもなさそうな発言は見るに耐えない。
ほかにも同種が多数生息している)にはうんざりしている。わざわざ落ち込
みたくないので、なるべく電源を入れないようにしている。
もちろん、なかには面白い番組もあるけれど、大抵気持ち悪い見え透いた
ごますりや、愚にもつかないこと(「格付け」ものとか)をネタにして大人
が一緒くたになって大騒ぎしている画は、どうにも耐えられない。
こんな惨状を呈する現状(って、大風呂敷広げすぎですね。すみません)
であるから、耳目を引くのは当然の帰結なのかもしれない。甘い饅頭のあと
にはお茶の苦味がうまい。
え、何が?って。
『知識だけあるバカになるな』での仲正氏の主張がさ。
十分な時間と思考力をもって書かれ、紙上にて展開されていく論考がどれも
これも素晴らしく嘆息させられる。
たとえ自分ずっと考えてたとも、ここまでに至ることができない。そんな絶
望と憧憬の眼差しでつい見つめてしまいたくなるテキストだ。
そうそう、これなのだよ。
こういった全うな(自己の無知さ+凄さを実感させてくれる)主張をまって
いるのだよ。オレ(たち)は。
だれもが知っているような常套句を連呼するに留まらず、不快感すら禁じ得
ない番組を垂れ流すTV関係者諸君(それに自分)、ぜひ仲正氏のような全う
な発言(というより「発言」することに対する痛切な自覚・態度)を見習う
よーに。
悪口からはじめてすまない。
そーいえば、読書感想文を書くつもりだったのだ。
本書は金沢大学法学部教授の仲正昌樹氏が書かれた本である。
著者の本は『「不自由」論』『集中講義!日本の現代思想』『<宗教化>す
る現代思想』などがあるが、どれも本書同様のスタンスで論述されており、
抜群におもしろい。なかでも本書は学生向けに書かれているということもあ
り、仲正氏の著作群の中でも特出して読みやすい平易な言葉で書かれている。
だがコンテンツのレベルは落ちていない。読みやすいからといって、内容の
程度が低いとは限らないのある。
以下、キラリと光っていた知見・卓見を備忘録を兼ねて引いておく。
●[疑い→知識→疑い→知識→疑い→……]というプロセスを反復するのが
学問です。当然、先に進むにつれて、「疑い」も「知識」も、だんだんより
精密なものになり、深まっていく(p27)
●どうして人は、「分かっているつもり」になるのでしょうか?
一言で言ってしまえば、自分にとって「分からないこと」があると不安だ
からです。できるだけ早く「分からないこと」をなくして、不安から解放さ
れたいと思うのです。(…)
「分かった」と言うことができるようになるには、、自分が想像していたよ
りも遥かに多くのことを学ばねばならないということに気づくと、余計に不
安になります。
だから、自分が「分かっていないこと」を"分かりたくない”のです。
(p54)
● 他人がすでに述べているさまざまな意見をちゃんと整理して自分の頭に
入れ、それに即してああだこうだと言っているうちに、だんだんと議論の仕
方が洗練されてきて、"自分らしい意見"が出来上がってくるのです。(p62)
● 何故私はこのコピペもとの意見を指示するのか、あるいは反対するのか、
その理由を明らかにすることを通して、少しずつ知識を広げ、議論を精緻化
していくわけです。(p67)
●(…)相手のどの部分を「否定」するのか考えた上で、対立し、批判し合
うところと、相互理解のための共通基盤とすべきところをその都度分けると
いうのが、アドルノの「限定的弁証法」という考え方です。
そのように限定し合うことを通して、お互いの立場を反省的に捉え直し、
相手を批判するだけでなく、同時に自分の立場を精密化したり、修正したり
する余地を増やすということです。(p142)
●言語は、それを使用する人の思考・精神構造と不可分に結びついている
(p175)
TVのみならず、雑誌やネット、ブログ、身時かなところでは会話というよ
うな場・行為から大量の方法が発信されている現代において、情報を選別し、
何を取得し、何を排斥するかは論じるまでもなく重要な問題である。
あたまを空っぽにして、何も考えず、最初からすべてを有用な情報と看做
して接すれば、因果関係がめちゃめちゃ怪しいと思われる(朝の10時頃に
頻繁に流されている)ダイエット食品系番組のエサにされてしまうかもしれ
ないし、江原君の説教の虜になってしまうかもしれないし、王様のブランチ
系の情報番組が「これ、ほんとにいいですよ」と言っていたら買う、食べる
などしてしまう「脊髄反射行動」をしてしまう可能性も十分にありえる。
「なんだよ。面白みが増していいことじゃないか、引き出しも増えるんだし、
それに楽じゃん、なによりさ」、というならば、もう言うことないです。
どうぞご自由に。
考えてみれば、確かにそれもありかもしれないし。
お決まりのデートコースには飽き飽きしているカップルとか、家族にどこか
連れて行けといわれたお父さんには吉報かもしれない。
たしかに、それはあるよな。うん。情報入手という一面においては。
しかし、それが「意図的な情報」であり、もしかしたら操作系の情報であ
るかもしれないということは、最低限頭に入れておくのがエチケットだと思
う。
だって「◯◯ダイエット」とかいう食材の因果関係が写真によるビフォー
アンドアフターと、体験者の生の声だけが根拠なんだからね。いくらでも作
れるよね。あんな映像は。
いやま、確かに効果があるのかもしれないから、未経験のオレがとやかくい
えた筋合いではないけどさ。けど「怪しい」と疑うことくらいはいいだろ?
しかし、こんなのはたいした問題ではない。
仮にダイエット食品がデマであったとしても、金銭的損失だけで済むからま
だいい。欲望を刺激されて小銭をくれてやっただけだ。もっと困ったことに
なるのは、江原氏らのようなオカルト先生の発言である。
「こうこう、こういった事件がありました(涙)」と涙ながらに江原氏に吐
露する人物に対して、彼・彼女の人生観までも左右するような発言力・影響
力を持っていることを承知の人間が、事の事象に勝手に意味付けをし、人生
の方向を指し示してあげるというようなことがあっていいのか。
いいの、ほんとに。ほんとに?
それも地上波で、しかもお子様も見ているゴールデンのような時間帯で、だ
よ。数字を取れるからといった理由(じゃないの?)でこんな番組を垂れ流
していいのか、TV局!と言う問題である。
常々不思議なのだが、なぜ彼らは全ての「答え」を所有できているのだろ
う。不思議だ。なぜ彼らだけ「答え」を知ることができたのだろうか。
でもって、大上段から下位にいる人に「答え」を説話することができるのだ
ろう。唐突な思いつきだが、もし森羅万象に関する「答え」を保持している
なら、われわれ人はその人を「神」と呼ばねばならないんじゃないのか。
江原君=神。
うわぁ。
こうした疑問はゆっくり考えてみなければならない問題である。
誰かがこんな問題にツッコみを入れていればいいけど、そうでない場合どう
しても自分のあたまで考えることが必要になる。
(コラムニストのオダジマ御大がオカルトの構造を喝破して斬ってます。↓
こんな批判文が常に見当たればいいんだが。
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2006/05/post_bf46.html)
本書で論じられているのは、「何も絶対的に信じることができない状況」
において「自分で考えるための最初の「手がかり」」、つまりどう考えれば
よいのかに関するヒントについてである。
通読すれば分かることが、「本書を読めば一発解決!」というミラクルな
内容はない。残念、無念。マトリックスのネオのごとく、データを一気にイ
ンプットできる使いこなせるというのは幻想であったか。当然だけど。
やはりリアルな世界は厳しい。我々は先がみえないような地道な修行の道
を歩まねばならない。
が、それでも自分の頭でモノを考えるための「知の方法(教養)」というメ
ソッド(というほど、体系的なものではまったくないが)を不案内のままに
歩きだするよりは、知っておくほうが賢い。何もゼロから始める必要はない
のだし。
テレビとか、本とか、権威などの言説を頼りに生きていれば自分で判断せ
ずたしかに楽である。間違えても「あいつのせいだ」と言っておけば良い。
それで自分のプライドも傷つかない。恥も書かない。おー、すばらしい。
だが、すべての疑問の解決法をインフォメーションに頼るわけにはいかな
いのではないか。どこかで自分の頭を頼りに(もしくは親しい人と考えて)
判断しなくてはならない問題が持ち上がってくるのではないか。
そーしたとき、先生がたの助言は参考になりはしても、拠り所とはならない。
また、してはならない、とオレは愚直にもそう思うのである。
- 作者: 仲正昌樹
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