備忘録→『哲学の謎』

ウィトゲンシュタインの名訳をされている野矢茂樹さんの『哲学の謎』より。

・言語がなければ物はたんに個々別々の在り方を示すにすぎない。それらを
どのようり括り、どのような一般性をそこに読み込むかは言語によっている。
(p151-152)
(自注?:素材の世界を言語によって切り取り、意味をみる。なにを拾って
きてもいい。ただ、なにを拾ってくるにしても言語を必要とする。


・「いままでずっとそうだった」という観察を重ねることは、それに基づく
一般的知識の正当性をいささかも増すものではないのだ。(p98)
(自注?:「犬はすべて黒い」という命題(真か偽を問えるような文)の根
拠となるデータをいくら集めても、「白い犬」や「金色の犬」がひょっこり
見つかる可能性は排除できない。だから、いくらいま一般常識となっている
「犬はすべて黒い」(なんてことないけど)という一般的知識を絶対普遍の
真理することはできず、正当化するするためにデータを集めても仕方がない
ってこと。見つかるときは見つかるんだから。


・一般的知識の確立のためには斉一性の原理(自注?=「他の事情に変化が
ないならば、ものごとはいままで通りに進んで行くはずだ」)が必要だ。…
しかし、斉一性の原理そのものがやはり一般的な知識のひとつで…そうか。
…まいったね。(中略)斉一性の原理を確立するために、再び斉一性の原理
を用いなければならないわけだ。だけど、斉一性が成り立つかどうかを調べ
るのに斉一性の原理を使っちゃうんじゃ、八百長だよな。論点先取りってや
つだ。
(中略)
結論はこうだ。経験の蓄積は一般的知識を根拠づけはしない。(p103)
(自注?:ひとつ前のとだいたい同じですね。)


・個々の経験の蓄積から一般的知識へと移行するところには、飛躍がある。
そして、この個々の一般への飛躍、過去から未来への飛躍は、知性のなし得
るわざではなく、むしろ想像力のなすことにほかならない。われわれは知的
にガイドされてそこに架橋するのではなく、そこを飛び越える。(p104)
(自注?:経験から得たデータを根拠にして、一般的知識(=仮説)へと飛
躍する論理展開は帰納法である。「犬のポチは白い」「犬のポチ2も白い」
「だから、犬はすべて白い」である。こうした仮説へと飛ぶには、どうして
も論理的に根拠づけることができない部分を含む。すべてのポチを調べあげ
ることができればいいが、それはできないから飛躍せざるを得ない)。


完全な備忘録。
怠惰と無精。
どんどん怠け者になってゆくな。
まぁ、自虐的な言及はこのへんにしておこう。
わざわざ「おれ、それくらいわかってるよ」みたいな自己意識が垣間見えて、
みっともないからね(といってる間にも…。といってる…。永遠のループ)。


この『哲学の謎』の根底にあるのは、やはりウィトゲンシュタインだろう。
論理や言語に関する知見がいっぱいある。
ただウィトゲンシュタインなんか知らなくても十分面白い。
ぼくらはこうした哲学(入門)本で学ぶずっとまえから、すでに哲学してい
たりするから、理解する素地はすでにもっているのだ。


最後に本書の目次を参考までに引用しておく。


1. 意識・実在・他者
2. 記憶と過去
3. 時の流れ
4. 私的体験
5. 経験と知
6. 規範の生成
7. 意味の在りか
8. 行為と意志
9. 自由


哲学の謎 (講談社現代新書)

哲学の謎 (講談社現代新書)