回路をまわせ


 いいものを見抜く審美眼はある。
これはみんなこっそりと誇っている自信であり、真理なんじゃないか。
「オレうまく表現はできないけど、いいものとわるいもののちがいくらいはわかるよ」と。
だから、映画のレビューがおおいのではないか。
「いい」「わるい」くらいは判断できるという自負心がそうさせている気がする。
けど、みんな同時にもうひとつのことを了解している。
「オレは表現できないよ」


 こうした文章を書いていると、それを痛切に感じる。
本をちょろちょろ読み始めるようになってから、とくに。
「いいもの」がわかるようになってきてるんだと思う。
で、苦しむ。


「オレが書きたいのは(読んでいると)どこかでつっかかりを感じて、たいして深くもな
い洞察を誇るような傲慢さがにじみでいているようなからっぽの文章じゃねぇ。村上春樹
のような(!)なめらかでいて、身体の芯に深く響くような文章だ。
こんなんじゃねー。
こんなへたくそな文章しか書けないなら書かない方がマシだ。
こうしてやる。ビリビリビリ」


 というのが、なにかを創作するもののがかならず体験するであろう苦しみであり、じぶ
んがいつも苦しめられている原因である。
 理想と現実のギャップ。
…ん?理想が村上春樹が気にかかるって。
あれはあくまでも文章の達人の例ですよ。聞き流してください。
それに、志は高くっていうますし。まぁ、悪いことじゃないじゃいですか>誰にいってん
だ?


 理想と現実のギャップ。
これに苦しむわけなんだよね。
しかし、そもそもなぜ「いいもの」と「わるいもの」のちがいがわかるんだ。
この前提について疑ってみると、不思議だ。
だって、わかるんだもん(笑)。
 そんな断言だけじゃいくらなんでもヒドいので、識者の見解をひいておく。 
脳科学茂木健一郎先生によれば、こうなる。

 感覚系を鍛えるには、音楽でもスポーツでも、生で聴き、観ることが大切なのです。
「何がよいもので、どれがダメなものか」を判断する時に、この感覚系の学習回路が重要
な鍵を握ります。ここが十分に鍛えられていないと、いわゆる「本物」を見抜くこと
ができません。(『脳を活かす仕事術』茂木健一郎、22頁)


なるほどね。
やはり、量を積み重ねることによって「いいもの」がわかるようになるのか(って、これ
はどのように実証されたのか、本ではまるで示されていないから、茂木さんの経験による
意見にすぎない。だいたい「いいもの」と「わるいもの」の判断ってのも、大変難しいし
ね。っていうか、できるのか、峻別することなんて。まぁ、とりあえず、できるというこ
とにして先にすすみます)。

 一方、「運動系学習」は、身体を使って情報を出力する時に重要な働きをします。手を
動かして絵を描く、声を出して歌を歌う、思った事を文章にして現すなど、能動的な運動
を通して表現する場合、アウトプットの精度は、運動系学習の回路がどれだけ鍛えられて
いるかに依存するのです。(前掲書、同頁)


 理想と現実のギャップの原因はつまりはここにあるらしい。
つまりこの感情系と運動系の回路をまわしてこなかったことに。
かんがえてみれば、文字についてはたくさん読んできたし、映画もそれなりに見てきたけ
れど、インプットしたものについて表現(文章にしたり、思索したり)した時間というの
は大変少なかった気がする。
記憶をさかのぼってみても、ほとんど思い当たらない。ほぼゼロといってさしつかえな
い。
だ、か、ら、できないんだ!(笑)。


 というわけで、茂木さんのお言葉を信じて、いまもこのような文章を書いてるわけで
す。
理想と現実のギャップを埋められる日はおそらく、もとい、ぜったいこないだろうけど。
いくら青二才のじぶんでもそれくらいはわかる。
しかし、逆説的にいえば、たとえ幻想でも、そのような目標をもっているからこそ向上心
を持ち続けチャレンジしつづけられる、とも言い換えられる。
理想(=成功でもいい)に到着しちゃったら、もうやる意義ないもんね。
ってなんだか、青臭いオチになってしまったな。


脳を活かす仕事術

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