問題を把握せよ

 なにをいっているのかわからない議論がある。
 なにをいっているのかわからない本がある。
 なぜだろう?


 だいたいは何を問題としているのかわからないことが原因である。
つまり、著者がなにを問題視されているのかがわからない、とそういうことだ。
敷衍した説明やら引用やらレトリックやらをつかってある問題を説明されると、議論の本
質(何を問題にしているか)を見失ってしまう(あるいは発見できない)。
「おい、あんた、いろいろいってるけど、結局なにがいいたいんだ?」みたいに。
振り返ってみれば、愚痴をぶちまけている友人の話が理解できないのも、この問題が把握
できない点にある。
 (本などに関しては)たしかに専門用語や概念についての無理解や知識がないことも、
「わからない」ことの原因としてはありうる。このあいだ読んでいた現代思想本に「物神
化」というタームがでてきて、「なんじゃそりゃ…」と理解するまでに時間をかなりよう
した。このようないままで見たことも聞いたこともないような知らない用語・概念が「わ
からない」を引き起こすことはありうる。その概念が、他とどう関係しているのかがわか
らないから、それも当然である。
が、そもそも何を問題としているのかがわからなければ、その後、展開されていく煩雑な
説明や概念や根拠にしたって(どことどうリンクするのかわからないんだから)理解でき
ないはずである。

議論は、基本的に「問題ー解決ー根拠」という要素からなりたっている。「どうしたら
よいだろう?」と皆がまよっている謎をとりあげ、「こうすればその問題は解ける!」と
意見・主張をのべ、「どうしてそうなるのかというと……」 と自分の意見・主張の正し
さを印象付ける。(『だまされない<議論力>』135〜136頁)


 議論の構成要素がこの三つ、つまり問題・解決・根拠から成り立っているとはどういう
ことだろう。


 たとえば、
「どうしたら、カノジョができるようになるか?」(問題)
という問題を考えてみよう。
 この解決策としては


①オシャレする
②出会いの数を増やす


という解決策が考えられる。
 さて、ではこれらの意見が解決策として有効だという根拠はなんだろう?


①だって女の子はオシャレな男がすきだろ。TVのイケメンはたしかに顔もきれいだが、 
 みんなオシャレじゃん。だからオシャレすればモテるようになるんだよ。

②世の中にはいろんな女の子がいる。イケメンが大好きな子もいれば、ナルシスト呼ばわ 
 りして毛嫌いする子もいるじゃん。つまり、後者のようなタイプに出会えれば付き合え
 る確率があがるはず。よって、女の子との出会う数を増やすべきなのである。


 これが「問題–解決–根拠」のプロセスである。
 異論はあるだろう。
たしかに稚拙な推論だ。根拠も脆弱。すぐに論破されてしまいそうだ。
が、議論のプロセスを煎じつめればこうなる、ということを示すにはこれで十分だと思
う。ということで、こんなんで我慢してください。ぺこり。
 そもそも「みなさん、これが問題なんです」(例示)なんて丁寧な書き方をしてくれて
いるものが多ければ、読めないという事体はそれほどおこらない。
「問題が問題として認識されていないから、わからない」(@養老孟司)から「わからな
い」が生じるのである(引用)。とくに格調高い古典本や硬質の文体のものがこれにあて
はまる(説明)。
 とりあえずこの方法論を使ってこれで読んでみようとおもう。
後日、結果報告します。


だまされない〈議論力〉 (講談社現代新書)

だまされない〈議論力〉 (講談社現代新書)