「細野真宏の数学嫌いでも〜」?の補足

 きのうのエントリーを読まれた方で(たいへんな長文をご苦労様でした)、 なんとな
くわかりかけたけど、でもわからない(ごもっともです)というかたは、 西林克彦さん
の『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』をお読みください。
たいへんわかりやすく「わかったつもり」がなぜ生じるのか、またその弊害の説明から、
壊し方までが懇切丁寧に書かれています。


 「わかったつもり」が生じる原因としては、いくつかあるようですが、 代表的なもの
は「その話、もう知ってるよ」という思い込みです。
知っているものだから、この先に書いてることをわたしは十分に知っている。
だから、それ以上知る必要はない。
このようなロジックに支えられ、わたしたちの読み方は深まらないといいます。
では、「わかったつもり」から脱出するにはどうすればいいのか。
それには文脈の力が必要だそうです。


 齋藤孝さんが「齋藤孝のざっくり!世界史」という歴史を大きな視点から捉えなおす試
みをされてますが、 ここで齋藤さんが採用されている5つの理解を深めるために用いる
キー概 「モダニズム」「帝国主義」「欲望」「モンスター」「宗教」というのは、 まさ
に文脈(=なんの話)のことです。
この文脈という道具をつかうことで、われわれは文章から意味を引き出すことができます。
 「あぁ、人間は際限のないモノへの「欲望」によって、モノを産出するその土地を所有
したいという 欲求が生じ、もっともっとという欲望に火がつき領地をどんどん拡大したて
いき植民地を生み出し続けたのだな。 その具体例が・・・というように」
という感じです。


 このように大づかみするには文脈の力が必要なのです。
つまり、大きな視点から、細部を捉えなおす、ということです。
われわれは「なんの話」なのかを知ることができなければ、そのお話をよく理解すること
はできないのです。
 ということのようですが、先日のエントリーを書いたおかげでよーくわかりました。
やはり表現あっての、「わかった」ですね。


わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)

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