思考の歩幅→『細野真宏の数学嫌いでも〜』③

 まず、このあいだのまとめ。


・数学的思考力とは論理的思考力のことであり、(このエントリーの文脈でいえば)
チャート化して考えられる力のことである。


 そういうことだった。
で、今日は「論理の飛躍」と「思考の歩幅」について。


<論理の飛躍>


 まず、さきに論理の定義をしておこう。
論理とは、ひとまとまりの言葉(=文)と言葉のつながりのことである。
ここでいう「論理」は論理学のような厳密な意味(演繹)においてではない。
ぜんぜんない。
前と後ろの文とが意味上においてつながってるかどうか、という程度のゆるい言葉のつ
ながりのことである。


モノの価格が下がる(A)→企業の純利益(売り上げからコストを引いた利益)が減る
(B)→従業員に支払う給料が減る(C)→(補記:消費者としてのかれらの→)モノを買う
購買力が下がる(D)→モノの価格が下がっていく(E)

         
 これが前回示したデフレの理路である。
で、このデフレの説明(A→E)のあいだには飛躍がある、とい書いて終わった。
では、どこに。
購買力が下がる(D)→価格が下がる(E)のあいだに、である(そこだけじゃないけど)。
もっといえば、DからEという文と文の意味を架橋している間においての情報の欠落のこ
とである。
あの文章の意味を理解するには、以下のような知識と論理が必要だった。


 購買力が低い、ということはつまり、モノを買うためのお金をあまりもっていないの
だから、 消費者はモノをたくさん買えないし、高いものはまず買えない。買わない。
あたりまえである。
お金がないのに、よぶんなモノを買うバカはいない。
わたしたちは衣食住という生存するのに喫緊なモノを欲望し、最優先にして買い求める
だろう。
マズロー欲求段階説を引くまでもない。
人間の原初的な欲望の対象はキラキラ光る宝石なんかじゃなくご飯(たべもの)である。
腹がへっちゃ、なにもできない。
とすると、生活必需品以外の商品を販売している企業は困っちゃう。
資本(お金)を投入してせっかく商品をつくったのに、買いたいって人が絶望的にすく
ないんだから。
つくったって売れなきゃ意味がない。
こちらとて、明日の生活(経営)がかかっているのだ。
「今は不況だしな。売れないならしかたないよな」と公園のベンチで途方に暮れてるわ
けにはいかない。
なんとか踏ん張らなくてはならない。
ただ悪いことに、困っているのはじぶんたちだけではない。
おなじようなモノを売っている同業者たちも同様に苦しいのだ。
そしてみんなで、少ないパイ(消費者のお金)を虎視眈々と狙っているのだ。
この数少ないパイをめぐる戦いに勝利するのは容易なことではない。
どうしたらよいのだろうか。
彼らは考える。
そこで彼らが考えだしたのは、消費者の「ほしい」という欲望を亢進させるために、商
品の価格をぐーんと値下げして売る、 という販売戦略である。
多少純粋な利益は少なくなるけど、背に腹は代えられない。
が、ざんねんなことに、この戦略は同業者も採用してしまうものである。マネしやすい
からね。
すると、企業間のパイ争奪競争が熾烈を極め商品の価格がどんどん下がっていく…。


 と、以上のような企業と消費者間のやりとりによって、商品の価格がだんだん下がっ
ていく、というのが結論である。
D→Eを理解するには、これだけの情報量が必要であり、また抜け落ちていたのである。
 すごい欠落である。
これだけ抜けているのだから、わからない人がいてもなんら不思議ではない。
いや、ほんとに。
 だが、ここに悩ましい問題がある。
自分がわかっても他人が「わかる」とは限らないからである。
論理の展開の歩幅は人によってさまざまである。
これは頭がよい、わるいの問題ではない。
思考の歩幅の問題である。


<思考の歩幅>


 そして、これはたぶん知識量と論理的思考力に依存する。
一度読んだり聞いたりしてわからなくても、有り合わせの知識を総動員して考えれば理解
できる可能性はある。
購買力が下がって価格が下がると聞いて、
「・・・。あぁ、なるほどね。金がなければ、余分なものは買えない。
すると当然企業側は売り上げが落ちて困るから、きっと・・・」と知識と論理的思考力を
使えば、なんとかなる人もかもしれない。
A→Cという歩幅が心地よい人もいれば、A→A・1→A・2→B・・・という歩幅が良い
人だっている。
 こればっかりは聞き手次第である(もちろん、説明の仕方もあるが)。
だから人にモノを伝えるのはやっかいなのだ。
他者の知識量は千差万別だし、彼/彼女の思考の歩幅など見分けようがないのだから。
しかし、そうはいってもやらねばならぬ。
その方法としては、どのくらいの歩幅が彼/彼女にわかりやすいのかを、表現したあとに
得られるフィードバック(表情や雰囲気など)を 介してちょっとずつ調整し、ふたたび
言葉を補っていくというやり方である。
 こうして、自分や他者の足りない穴(情報)を埋めていく。
 うん。理屈上はこれでできそうである。
しかし、ビジネスシーンなどならともかく、受験勉強や独学で何かを学んでいるような
ものが、なんのためにわざわざ苦労をして他人に理解してもらう必要があるのか、という
と疑問もあるかもしれない(という前提で話してました。すみません。いま気づきまし
た)。
 じぶんの中でわかっているなら、わざわざ口に(文章に)する必要などないではないか
と。
 他者にメッセージを伝えることが、なぜ必要なのか。
 ごもっともだ。
 お答えしよう。
 それは、他者という外部に向けられて語りだされたメッセージを介することなしに、わ
れわれはその欠落に気づくことが できないからである。
一見と遠回りにみえる他者への表現というのは、とりもなおさず、自分の「わかった」を
最短で獲得するためのショートカット技術なのである。
「急がば回れ」というむかしの人
が残した知見は、どうやら真実なのである。


 と、以上が「思考の歩幅」の要諦だったと思う。
で、次回は(すいません、もう1、2回やります)、テレビや新聞、本などで得た断片的
なデータから「情報の本質」を見抜く方法についても参考になりそうなことが書かれてい
たので、それをネタにして書いてみようと思う。


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