『がっかり力』@本田透

「ブックカバーつけますか?」と書店員に訊ねられたとき、「お願いします」と返事しておけばよかったと、あとあと後悔させられた本。


がっかり力 (アフタヌーン新書 001)

がっかり力 (アフタヌーン新書 001)


これ、スタバで読むにはキツいっす。
内容にもちょっとがっかり。面白くないわけじゃないけど、本田さんがいままでに書かれた『電波男』『喪男の哲学史』『世界の電波男』といった名著と比べちゃうと面白さ激減の感は拭えない。
読み手の固定観念や通念をグラグラっと揺さぶるような衝撃がないんだよね。というようなことは著者自ら(!)も認めてたりする。
潔いなぁ(笑)。
ただ、学ぶところがないのかといったら、全然そういうことではない。


タイトルにもなっている「がっかり力」というのは、なにかとがっかりさせられる現実に、「現実ってそんなもんだよな」というようにさっさと諦めること、ようするに「諦念する力」のこと。


いまは世界同時不況で消費は低迷し、モノが売れない。モノが売れなきゃ仕事も減る、という悪循環の環境にあって、努力→向上→成功というプロセスが信じられなくなった今(常に新たな市場を必要とする、資本主義という経済システムの限界のため)、そろそろ「がっかり力」を身につけて生きるほうがよくない?ということである。

我々はもう、絶え間ない前進と飛躍を続けるカリカリ人生に見切りをつけて、がっかり
人生を歩まなければならないじきに来ているかもしれないのです。(『がっかり力』、p18)


いや、これはほんと、支持したい。
上昇志向にゃ神経がすり減らされるだけで、もうクタクタですからね。
では、具体的にどうやって「がっかり力」を手に入れるか。


方法はふたつ。
1.「あとづけの、がっかり」(「すでに起こってしまったがっかりな現実に対して、いかに
がっかり感という心理的ダメージを減らすことができるか、という技術」)と2.「さきばし
りの、がっかり」(「何かを始める前に、あらかじめがっかりしておく」という高等技術)
という二つの思考法でである。


1.は、たとえば、ずっと好きだった女の子がいたんだけど、フラれるのが怖くて、妥協
して別の子と付き合いはじめて3日後に告られたという究極的な「がっかり」状態のとき、「いやま、きっと彼女は性悪で、魔性の女だったんだよ。そういえば・・・なんてこともあったじゃん。それに引き換え、いまの彼女は優しいし、料理うまいしサイコーじゃん」と、すでに起こったことを好意的に解釈するという方法である。


2.は、「世の中そんなに上手くいくはずない。けど、努力は大事だよ」という考え方
で、成功することに過度な期待をせずに、しかしたんたんと努力だけは続ける、というス
タイルのこと。つまりこれって中庸思想ですな。
この二つで『がっかり力』を磨こうというわけである。


で、これらはご存知の通りまったく目新しいものではない。っていうか、上昇志向が行き
過ぎている感がある今、「なんだよ。それってようするに、敗者の負け惜しみだろ」と、
現実で成果を上げていないヤツの「負け犬の考え方」として揶揄されやすい。
本田透さんは、それでもいいんだよと肯定してみせる。
この意義は大きいと思う。なにより力強いじゃないですか。


ただ注意しなくちゃいけないのは、「がっかり力」は勝負を最初から捨てるのとはちょっ
と違うということ。
ものごとに力の限りを尽くして努力はするんだけど、その末にどんな結果がまっていよう
とも、オレはそれを甘んじて受け入れるよ、というようなスタイルである。
欲望を煽られ続ける現代には、こうした欲望から自分を切り離して冷静さを保つ態度が大
切だと僕も思う。これを体得していれば、たとえ失敗しても「ま、それも想定内さ」とい
うことができそうだ(理論上は)。