「TVの見方」

 昨晩「情熱大陸」を見た。
いま外側(視聴者)ではなく内側(つまりスタッフや芸能人や偉いさん)に
向けてアピールするような番組作りをしているものが多いなかで、わりと好
感がもてる番組だから、ときどき見ている。
前回視聴したときは立川談春だった。
あの回にはほんと観てよかった。


 閑話休題
 さて、「情熱大陸」が毎回追いかけている人たちには共通点がある。
それはふつーの人よりなにかに熱中し傾倒しまくっている人だということだ。
だからカメラがとらえる続ける被写体は、必ずある種の異常性をもっている
(だから取材対象になるんだけど)。
そして、その人の奮闘ぶりを見ていてつねづね思う。
かれらは純粋なオタクなんだなって。
オタクは追っかけている対象に対する情熱がハンパじゃない。
ものすごい細かいことディティールまで調べあげているし知っている。
対象にたいする情熱が半端じゃないのだ。
一般論として世間はオタク=キモいという印象をもっていると思うのだけど、
じぶんはオタクの人たちをスゴい人たちだと思ってる。
だってあんなに夢中になれないよ、ふつー。
かんがえてみれば、どこかの大学の教授だって、オタクといえばオタクであ
る。秋葉原に代表されるオタクと呼ばれる人達と本質的にはなにも変わらな
い。
ちがいは追っかけている対象のちがいだと思うんだけど、秋葉原の方々が敬
意を抱かれることはない。
なんか割りを食ってるよな。


 で、昨夜の回はいま一番売れっ子(らしい)の鈴木おさむさんという放送
作家だった。
 あぁ、見たことあるある。
森三中の大島さんのダンナさんね。
 30分ほどぼーっとみていて思ったことは、鈴木さんという人は心からTV
といものが好きなんだなということだった。
それに仕事ぶりにも感心もした。
 そんな彼に「R25」というフリーペーパー氏のインタビュアーが質問して
いるシーンが印象的だった。
インタビューしていた女性は、大衆が「TVを見ない理由」をアンケート調査
してきていて、その結果から意見を鈴木さんに求めていた。
 鈴木さんはいくぶん渋い顔をしてこう答えていた。


R25: 「最近のTVは面白くないと多くの方がおっしゃっているのですが…。」
鈴木さん:「それは、ちゃんと見ていないからですよ
R25: 「といいますと?」
鈴木さん:「ちゃんと見れば、視聴者を逃さないような仕掛けをしてますよ。
      いや、ほんとに」


 このあたりの細かい内容はあまり覚えていない。
TVが知的ではなく、面白くないという世論の意見が多数派だとインタビュア
ーがいい、それに対して鈴木さんがエクスキューズしていた、ということし
か覚えていない。
 なぜ細かい事を覚えていないかというと、さきほどの鈴木さんの主張の前
提には「こんなに凌ぎを削って面白い番組ばかり放送しているのに、視聴者
はそれに気づかない=バカなのか?」というものがあると思ったからである。


 たしかに「視聴者を逃がさない仕掛け」という点においては異論はない。
うん。たしかにね。
成果の当否はともかく「努力」は認めるよ。
だけど、それがなんなのだろう。
商品が売れるような工夫はどの企業でもやっていることある。
それは企業努力そのものであって、モノを売ってナンボの世界と一緒であり、
詰まるところが自己利益なわけですよね。
だから、私益をこやすための努力を誇ってどうする、というツッコミを入れ
たくなってしまったわけだ。


 ただ鈴木さんがおっしゃりたかったのは、そこではないということは承知し
ている(つついちゃってごめんなさい)。
じぶんたちは面白いことをやってるのに、視聴者はちゃんと真剣に見ていな
いからその面白さを分かってくれない、という点にこそあるのだと思う。
しかし、これにしたってちょっとおかしい話である。
だって、たとえば「なぁ。この映画ほんと面白いから、真剣に見てよ。見方
としてはね…」と言う感じに、鑑賞方法まで指定するのと一緒だから。
もしそんなこと言うヤツがいたら、勘弁してくれよとわたしは思う。
映画の見方を人様に指示されたくはない。


 ある「メッセージの中から、何を聴き取り、何を「正しい」とするかを決
定するのはそれでもやはり国民ひとりひとりの不可侵の権利である(@内田
樹)であって、発信者が規定するものではない。
当たり前のことである。
だからもしご自身が「これはぜったい面白いはずだ」とおもっているなら、
観客が「すみません。オレたちが間違ってました。これ、すっごい面白いっ
すね」と陳謝させるほどのものを作ればいいだけじゃないか。
TVがつまらないと客に言われたからって、視聴者の理解力、洞察力といった
ものの欠如(なのか?)を責めるのでは、ちょっとナシだよなとわたしは思
った。