『運命じゃない人』

運命じゃない人』★4

運命じゃない人

運命じゃない人

「現実」とは「物自体の世界(本当の外部世界、真の現実)」の上に、人間の精神がかぶせられた作り物の世界なのだ(@本田透


●私たちは一面的な側面でしか物事をみていない。
だって、そうでしょ。
女の子が突然出ていったら、「あれ、オレまずいことしちゃったかな」って考える。
マフィアをみたら「オレたちとは、そもそも根本的に別の人種だよな」と考える。
ヘコんでるときにフォローしてくれる親友には「いざっていうときは、優しいよな」と考
える。
この二つの目で通してみる世界は少なくともそう見える。
自分にとってそれら当然のことであり、疑問に思うことはない。
もちろんこれ以外の多種多様な見方があることはみんな知ってる。
人はそれぞれ違う見方をしている、くらいは。
だけど、仮象(思い込みや先入観)を通してモノゴトを観ていることを、私たちはなかな
か気づけない。
どんなにキレイに包まれたチョコレートでも、包装紙をべりべりと剥がして直視してみれ
ば、なんてことはないタダのチョコが姿を現すものだが、バレンタインのような行事にな
るとイメージが先行して、そのチョコをふつうのチョコとは別格のものとなる。
それは人間も同じことで、仮面を剥いでしまえば人間らしい姿が横たわってたりが、われ
われは、その人に抱くイメージ(あるいは肩書や所有物などの記号が示すイメージ)に引
っ張られ手しまう。
ゆえに仮象を通さずに人はモノそれ自体を眺めることはできないと言えるかもしれない。
イケメンがさわやかなキャラを演じていれば、本質がどうしようもない野郎でもいいヤツ
に見えてしまうのである。悲しいことではあるが。
運命じゃない人』にはそこらへんにいそうな人間が5人出てくる。
それらに対してわたしたちが抱いているイメージがある。
それがいかに自分にとって自明のものであっても実は全然そうではないのだよ、と本作は
さりげなく教えてくれるのである。


●30歳あたりのクールを気取っている男にはちょっとつらい映画でもある。
サラリーマンをしている宮田の友人の神田は、相性の合う女のこといつかであえると期待
している宮田(=観客)にヘビー級のパンチを浴びせる。


「おまえ人生ってやつに期待してるんだよ」
「30過ぎたらクラス替えも文化祭もないんだよ。
 自分でつかまえにいかなきゃいけないんだよ。」


ズキュンである。
どこかで、漠然と、「きっとオレは運命の人と出会えるだろう」と淡い期待している人に
は、アイスピックで心臓をひとつきされたくらいのインパクトのあるセリフでである。
心当たりのある方は覚悟してね。