『ロンゲスト・ヤード』

ロンゲスト・ヤード』(原題:Longest yard) 監督:ピーター・シーガル ★4



アダム・サンドラー版『ロンゲストヤード』を観る。
これはようするに反権力の映画であり、人間の尊厳を問う映画だった。

元アメフトのスター選手ポール・クルー(アダム・サンドラー)は引退後ヒモ生活を送っ
ている。
現役時代、八百長をしたことが原因で自暴自棄になっていたポールは、暴走運転をして警
察に逮捕され刑務所に収監されることになった。
そこの所長に「囚人を使ってアメフトチームを作り、看守チームと戦わせ勝たせろ」と八
百長試合を持ちかけられる。これに従えば刑期を過ごしやすくしてやるというのだ。
ポールはしぶしぶ受け入れることにするが、腹の中では看守チームをボコボコにするつも
りだった。
終盤、囚人チームが優勢で試合が進み雲行きが怪しくなってきたところで、所長はポール
に杭をさす。
もし看守チームに勝てば、刑期を25年に延ばすぞ、と・・・。


脅されたポールは頭を抱える。
「私」という主体をもっとも気遣う者としてこれはもっともな行為である。
「私」を「私」以上に気遣ってくれる存在は他にいない。
だからポールが八百長をしたのも、だれも理解できないわけではない。
だが、外側(自分以外)と内側(私)では良しとするものがちがう。
外野からは「正義の人」としての自分を期待され、内側では「効用を最大化する自分」が
期待される。
正義の人になれば経済的メリットを失い、その逆もまたしかり。
利害はつねに内と外で対立しているのである。
だが、「私」の経済的メリットを優先させた結果、大きくスポイルされたものがある。
自尊心である。
自分を誇らしく思う心とは、社会の目と密接に結びついているものだったのだ。
ポールは八百長することを選んでしまったがために、彼の心は常にズキズキと痛み続ける
こととなった
だがアメフトチームを指揮することで、徐々に回復しつつあった。
この自尊心を試す存在が所長である。
「もし看守チームに勝ったら、おまえに25年分の罪を着せてやる」と金網で囲まれた閉鎖
空間における絶対者(=所長)はサンドラーを恫喝する。
サンドラーは熟考する。


オレはいままでずっとクヨクヨしながら生きてきた。
今回所長の命令に従順に従って負ければ、今後大変な目に合うことはないだろう。
だけど、それはそっくり自己の尊厳というものを譲り渡すことだし、この先またずっと自
分を呪い続けることにもなるだろう。
どうしたらいい。
なかなか答えを出せずにいたとき、仮出所の日に所長に殴りかかって出所を取り消されて
しまった仲間のスキッチーにポールはひとつ質問をした。


なぁ、スキッチー教えてくれ
教えてくれよ
あのとき所長を殴ってよかったかい
終身刑に見合うほどのものだとおもうかい


スキッチーは平然とした顔で答える。


見合うもなにも、それが俺の勲章さ


人間にとって尊厳というものの重要さがここに見事に集約されている。