ニーチェの永劫回帰→『恋はデジャブ』

『恋はデジャブ』(原題:Groundhog Day)★5


同じ日が何度も何度もくり返される。
もしそんなことが続くとしたら、あなたは耐えられるだろうか。
まぁ、オレは無理だな。
新しい映画が、音楽が、本が創られなきゃ生きていけない。
常にあらたな刺激や希望が必要なわけだ。
そのおかげでなんとか人生ってやつを生き長らえているわけで。


『恋はデジャブ』のフィル・コナー(ビル・マーレイ)はこのありえない事態に遭遇する。
フィルはローカル局のお天気キャスターをしている。
「オレはそのうちキー局からお呼びがかかる」と信じていて、周囲のひとをバカにしてる
嫌なヤツ。
そんな彼は会社の指令で田舎で行なわれるグラウンドフォッグ・デーの取材に向かった。
その取材後、自宅に帰ろうとする一行だが、大吹雪で通行止め。
仕方なくその町に宿泊することに。
しかしどういうわけか、朝起きると昨日と同じ2月2日。
なんで?
理由はわからないが、どうやらフィルだけが同じ2月2日を体験しているようだ。
これが何度も何度も繰り返されることになる。
フィルはあんまり暇なので女の人を口説いてエッチして、それに飽きると同僚のリタも口
説くんだけど、いつも最後で失敗してしまう。しまいには腐って犯罪に手を染め、自殺も
試みる。
けど、死ねない。
高層ビルから飛び降りたり、トラックの前に飛び出したりして自殺しようとするが、やっ
ぱり死ねない。
これは地獄だ。
明日を生きる希望を失った人間に生きる意味なんてない。
あるのは絶望だけ。
そんな人生はクソだ(監督の話ではフィルは3000回繰り返しているみたい)。


同じ日が何度も回帰するというアイデアをハロルド・ライミス監督はニーチェ永遠回帰
から得たという。
たとえ同じ日が繰り返されたとしても、そこから悦びを見出せ。
永遠回帰の思想とはようするにそういうことだ。
これを理解するには、キリスト教へのアンチテーゼを知る必要(@町山智浩)がある。
キリスト教では最後の審判が下ったとき神の国に行ける(かもしれない)という思想があ
る。
つまり現在を禁欲的に生きることで神に選ばれ、将来的にいい思いができるかもしれない
ということだ。
だから今を慎ましく生きなさいよ、というのがキリスト教の論理である。
ニーチェはこれを激しく否定した。
それは現在を否定することだ、と。
未来ばかりに釘付けになっていることは現在をおろそかにすることだ、と。


フィルは永遠回帰の思想を体現している象徴的な人物だ。
映画の中盤から、彼は「今」を懸命に生きることにする。
ホームレスのおじさんにご飯を食べさせてあげたり、木の上から落ちる少年をキャッチし
て救ったり、習いたかったピアノレッスンを受け始めたり、本を読み始めたりする。
たとえ明日、2月2日という同じ日がやってくるとしても、未来という日が永遠にやって
こないとしても、自分に与えられた「今」を精一杯生きること。
外部からやってくる刺激に生き甲斐を求めることをやめ、いま現在を生きること。
フィルはそうして人生を回復させていく。
脱力系キャラのビル・マーレイがこれをやるから大変説得力がある。
ラストは感涙必死の名作ですよ。
(本エントリーのネタ元はこちら→http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20090212


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