『クルーグマンのミクロ経済学』 ツタヤに行かずDVDを買うわけ

最近ちょっと驚いたことがある。
TSUTAYAを利用しない人がいることに、である。
あんなに便利なお店を利用しない人がいるの?
なんで?
その友人はとりわけ映画をこよなく愛する人だった。
でもTSUTAYAは利用しない。
もちろんGEOも利用しない。
映画はDVDを買って観る。
とにかくレンタルビデオ店そのものに通うという行動そのものをしないのだ。
理由が知りたかった。
あんなに便利なんだもの。
率直に訊いてみた。
「ねぇ、なんでツタヤに行かないの?」
しかし訊いてみたものの、ぼくにはあまり釈然としない理由が返ってきただけだっ
た。


「返しに行くのが面倒くさいから」


率直にして簡明なこたえだ。
なるほど。
そういう奇特な人もこの広い世の中にはいるのだね。とそのときはちょっと大げさ
で単純な了解をして話を終えたのだけど、クルーグマンミクロ経済学を読んでい
て彼の行為がちょっと理解できた(気がする)。


経済学的観点から言えば、ぼくの友人は時間にお金を払っているのだ。
DVDは購入してしまえば返却する必要がない。
私有財産制なんだからあたりまえだよね。
で、お金より時間のプライオリティが高い彼のようなケースなら、TSUTAYAを利
用してDVDをレンタルするより、Amazonなどネット書店を通じて購入したほう
がずっと効率的だ。
しかし、可処分所得(自由に使えるお金)には限りがあるから、彼のDVD鑑賞量
はレンタルDVDを利用するよりも必然的に低下する。
なんか損した感じだ。
でも、それは仕方のないことだ。
彼はDVDを一本でも多く鑑賞することより、レンタルに使うコスト=時間をお金
で支払ってDVDを購入し、選りすぐりの一本(ないしは数本)を楽しむことを
チョイスしたんだから。


ぼくたちの目の前には、つねに「あれか、これか」という選択が存在する。
原理的に全部取りができないんだからそれも仕方がない。
スピルバーグだって無理な話だ(なんかできそうだけど、たぶんだムリ)。
ぼくだったらTSUTAYAを選ぶ。
支払うお金も少なくて済むし、置き場所は取らないし、なにより沢山の映画を観ら
れるから(だからぼくはDVDをほとんど所有してない)。
もちろん返却しなきゃいけないというネックはあるが、そんなものさほどコストだ
とは思っていない。返しにいった先で見かけたパッケージに惹かれて、その映画を
借りてみて観たら実はすごい傑作だった、という棚からぼた餅的な体験をしたこと
のある人間には、とくに。
そういった体験がレンタルするという行為のプラス要因になって、ふたたび行動す
ることを促し強化している節もありそうだ。
しかし、彼は時間を選んだ。
それが自分にとって効用(満足)を最大化させることだと彼は知っていたんだ(と
経済学は考える。でも彼は偶然の出会いを知らないことになる。すると、ぼくも
ネットでDVDを購入する何らかの旨味みたいなのを知らないのだろうか)。
人の動機をインセンティブ(人を動かす要因)だけで分析するのはちょっと単純す
ぎるかもしれないけど、人の心を理解するのにはわりと役に立つ。
理解できないというのは不安な状態ですからね。
彼女がなぜいきなり泣き出したのか、みたいな当惑するしかないケースを思い出せ
ばよくお分かりいただけるかと。
そこから抜け出せるというのはやはり安心感を味わえる。
なんだ、あいつはそんなことで泣いていたのか、と。
人間がそんなに単純かどうかはともかく…。


クルーグマン ミクロ経済学

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