『96時間』


 ストーリーはツッコミどころ満載。 
リーアム・ニーソンは誘拐された娘を救出するために法を軽くは50は破ってるだ
ろうし、なのにまったく罪には問われないし(←むしろヒーロー扱い)、 愛娘を
救出するためには手段も方法も文字通り選ばない姿には、呆れるというより驚いた。
終盤、情報を手に入れるために、彼がとるある行為には「えっ!」と虚をつかれう
っかり声が口から漏れてしまった。
いや、ほんと凄いことするんだよね、このひと。 
ただこのプロットの整合性はハナから度外視されているようにみえる。
そして、「われわれはこの作品で迫力のあるアクションシーンを撮るためだけに
本作をつくったのだ」、とリュック・ベッソンが豪語するならばその言葉は信じ
ていいと思うし、成功している。
カットを短くつなぎ、格闘の現場でなにが行われているのかぜんぜん分からない、
けどカッコイイ(気がする)画は『ボーン・アイデンティティ』などのアクション
映画で多用される手法。
これが成功要因のひとつ。
57歳にしてバリバリのアクションをこなし、「この人になら任せても絶対大丈夫」
というまるでスティーブン・セガール並みの強さを信じて疑わせない過分な説得力
が備わっているのは、やはりテンポよくカットをつなぐ手法によるところが大きい。
もちろんリーアム・ニーソンの演技力によるところも。
だからアクションシーンに限っては実によくできている。


本作を観ていて感じたのは、(荒唐無稽なプロットもそうだけど)外国っての別の
論理で回ってる国なんだ、ってこと。
空港に手荷物を両手いっぱいに抱えながら降りてくる若い女性は、犯罪者にとって
は絶好の獲物である。
彼らは獲物を狩るために虎視眈々と選別して狙っている。
そこにまだ若い二人の女性があらわれる。
若くして男に興味津々な娘たち(L・ニーソンの娘とその友人)は声をかけてきた
男の誘い(「タクシー代高いから、一緒に乗らない?)に気軽にのってしまい大惨
事にまきこまれる(にしても、アメリカ人ならば、もう少し危機意識が強くてもい
いような…というツッコミたい心がうずいても、それは抑えなくてはいけない)。


僕らは外国を日本とは別の国だと考える。
日本ならば他県に行ってもある程度予備知識を参考にしながら「してはいけないこ
と」をある程度推測することができる。
ただし外国ではさっぱりお手上げ。
なにを「してはいけない」のかわからない(さすがに、タクシーをあいのりしよう
とはしないだろうけど)。
それは文化や価値観が違うからである。
だから、文化の違うのが外国だということは分かっても、どのような論理で成り立
っているのかはよくわからない。 
イスラム教では豚肉を食べてはいけないが、なぜ豚肉を食べてはいけないのか、日
本人であるぼくらには容易に想像することができない。
現実にはある国の中では自明の論理が「ある」のだけれど、ぼくらにはそのことは
ぜんぜん自明ではなない。
つまりどのようなことを「していけないのか」、事前にそのことを想像することが
たいへん困難(な論理で成立している)な国が外国であり、その本質なのである。
外国(ここに、本や他者を代入してもOK)とは(あたりまえだけど)ぼくらにとっ
て理解を絶するものとして、わたしたちの前にあらわれる。
なんともやっかいなことに。


ぼくらが所属している共同体における論理は、ぼくらの頭の中にある。
前述したように、それは文化や環境(両親の教育など)を通じて形成される。
だから、「してはならないこと」はある程度想像がつく。
だが、まったくべつの世界(論理)に出会ったとき、ぼくらは「…えっ!」と驚き
声を失う。
なぜ、そのようなことになっているのか、突然出くわしたぼくらには想像すること
ができない。
そして、まったく別の世界では「ごめんね、わたしそんなこと知らなかったの」で
はすましてくれない厳しい世界なのである。
だからこそ「外の世界は危険なんだぞ」と父親であるL・ニーソンはに娘になんど
も身を守ることの必要性を説く。
が、娘は「ママがパパのことパラノイアだっていってたよ」とその偏執的な警戒意
識の強さを遠回しに揶揄し煙たがる。
悲しい話である(まぁ、娘の心情はとてもよく分かるのだけど…。お父さんはたい
へんなのだ)。
しかし彼が執拗に警告するのは理由のないことではない。
それは彼が長いCIAでのキャリア中で学んだ冷厳な事実のひとつだったのだと思う。


ツッコミどころ満載の映画ではあるが、L・ニーソンの常軌を逸した行動ですら気に
ならない。
アクション映画としての完成度が高いおかげだろう。
とはいえ彼が地道な捜査の末に見つけ出した人身売買の元締めが、ベットに横になっ
て扇子で仰いでいる太った富豪だったのには噴いた。
あれほど「富豪」の手垢(記号)がべったり貼りついた人物(像)をあえてえらぶ
センスのなさはすごい。いくらなんでもダサすぎ。