『情報の「目利き」になる!』

日垣隆さんの『情報の「目利き」になる!』が絶版になったそうなので、
まだ中古本が手に入るうちに書評(じゃなくて、引用+コメント)をあげときます。

「一日一冊」の秘訣はと言えば、いったん読み始めたら途中でやめない、というこ
とに尽きます。
(…)
 石の上にも3年と言いますが、とりあえず、これを10年間続けました。凡人は
得意な分野で一つくらい努力し続けないとモノになりません。(p28-29)


★この言葉を聞いて以来、一日一冊を目標にしてる。
けど、失敗することばかり。
じゃ、どうする。
途中でやめないことが秘訣、とうことらしい。
なるほど、たしかにボクは30分読書→5分休憩→(別の本で)30分勉強→5分休
憩→30分読書→・・・、というサイクルをくりかえしてきたから、一日一冊を読み切
ることができずに失敗していたのだと気づいたまではいいが、しかし、集中力の限界
は30分ほどだ。
休憩をはさまずにぶっ続けで読み切ってしまうのは得策だろうか?
経験が教えるところでは、集中力と理解力がガクンと落ちてしまうのだが…。
だとしたら、もっとスピードをあげてさっさと読み切ってしまうべきか。
一度、速読でざっくり読んでしまい、小休憩後、もう一度本を読み返す方法はどうか。
いや、しかし、そもそも速読が可能なものと不可能なものがある。
速度は本の難易度やジャンルに依存するから。
難易度のやさしいものは速読でもいい。
しかし、緻密なロジックによって書かれている難しい本は速読できない。
それをどう読む?
読書30分→休憩5分→(同書)読書30分…、という感じか?
なんだ、それって一般的な読み方じゃないか(笑)。
つまるところ、休憩をはさんで別の本を読む(or勉強する)、ということを実行して
きているからこんな風になるんだよな。
結論。
一冊読読みきるものと、勉強するものは別のサイクルにすること。
よし、改善しよう。

個人サイトは、一言で言えば常に更新される巨大な「名刺」だ(p59)


★ですよね。自分とはこういった人間である、といった表明でもある。その表明を
する自己を飾りたいという虚飾心が、努力のバネであったりもするわけで。


仮説力をつけるための最も有効な手段が「突っ込み」です。冷やかしのための突っ
込みと現象的には区別がつきません。何が違うのか。リテラリーとしての突っ込み
は、仮説検証手段だという点によく注意してください。
(…)
仮説検証手段というのは、まさに批評のための突っ込みにほかなりません。ここで
大切なのは、突っ込み全体として批判となるためには機軸が必要だという点です。
その機軸の頑丈さのことをリテラシーと読んでいいわけです、もちろん。(p115)


★機軸が肝要、と。

究極的に「考える」は、自分とは何か、に行き着かざるをえません。すべての見聞
が、自分の小さな世界(脳内)で処理されるのだからね。自分とは何か、というの
は、日本とは世界とは宇宙とは何か、自分にとってそれらは何なのか、どう関わっ
ているのか、という疑問と実は同じです。(p177)


★至言。
言われてみて初めて気づいた。
問いの始発点が「その問題が自分とどう関係するのか」ということだったとは!

読書はパワーアップする。(…)たいていの人なら、大量の読書(とりあえず平均
値より5倍程度の読書量)をこなし初めて5年目くらいまでは、ある本を読んで感
銘を受けた場所に、"傍線を引かない箇所の方がすくないくらいの現象"が頻発して
しまうのではないでしょうか。
 これは不可避な道程だとはいえ、ここから脱却するには経験と成熟(後述するよ
うに、おのれを知る)しか方法はないのですが、5年かかるところを1年に縮めた
いなら、読書量を加速度的に増やすのが最も近道です。読書の質(評価力)を向上
させる要諦は、書物との闘いに勝つことです。ここで比喩的に述べた書物との闘い
とは、例えば《ぺたぺた付箋紙をはりつけ、思いついたことを欄外に書き込み、1
冊につき10カ所ほどページの隅を小さな三角に折り曲げ、同一書物内の大きな矛
盾点にはこれみよがしに×印と参照ページを書きつける。本の著者にとって大事な
ところでところではなく、私が「?」とか「!」と思ったところにだけ線を引く》
というような戦闘状況のことだと思っていただきたい。
 要するに、自分の土俵で本を読む、ということです。
 このような"闘い”を年間たくさん繰り返せば、10年後くらいには誰でも、ほと
んどの書物を自力で制することができるようになると思います。(p203-204)


★自力で制することができるようになることが当面の目標であり、この言葉こそが
当面の励み。
「凡人は得意な分野で一つぐらい努力しないとモノにな」らないし、他力に頼らず、
自らの力で書物を読みこなし、評価するところまでは到達したいと思ってるので。
未熟さってのは不敵なのだね。
しかし、なぜこの言葉を真実だと信じることができるのか。
それは、日垣さんのいままでの実績に対する自己評価(決して偽善は言わない。徹
底的に考え、真実を追求する態度)に起因するのだと思う。
手放しに賞賛しすぎ?
えぇ、マジリスペクトしてますので。

(自注:読書量を増やすことで)何が一番加速度的に違ってくるのでしょうか。
それは評価力だと思います。
 ある本を読む。その本は、どのような点が優れているのか。そもそも、書かれて
いる内容は事実なのか。どこがオリジナルで、その欠点は何か。読み手である自分
にとって、応用できる視点や素材は何であり、次に何を読めばよいのか。これらを、
現在の自分との距離を推し量りながら定位するのは、評価力です。もちろんその意
味では読書は、文字通り「おのれを知る」仕事だと言えます。世界と自分との往復
運動を自覚的に定位できなければ、「おのれを知る」努力は空回りになります。
(p207)


★これをもっと自覚的にやっていく必要がある。
そして、(直接はいってないけど)なんらかの対象なにし、「おのれを知る」こと
はできないという言葉にもひかれる。
たしかにそうだよね。
そういえば、ヘーゲルも同じようなことを言ってたっけ↓(「も」じゃなくて、あ
ちらが先)。

http://d.hatena.ne.jp/sa-hiro/searchdiary?of=2&word=%A5%DE%A5%EB%A5%AF%A5%B9%A1%A1