Twitter

アメリカにはシナリオドクターという職業がある。
脚本家によって書かれたシナリオが訴求力に欠ける場合、そのシナ
リオの問題点を見つける(診断する)人たちのことだ。
で、日本にも、このドクターがいる。
映画監督でもある三宅隆太さんがその一人だ(三宅さんは「スクリ
プトドクター」と名乗られている)。
で、その三宅さんが『BRUTUS』に寄稿されている「泣ける映画
の構造分析」という記事を大変面白く読んだ。


話は少し飛ぶが、少し前からTwitterをやってる。
http://twilog.org/sa_hiro
「本屋なう」とか「『イングロリアス・バスターズ』みたぜ」と
か、まぁ一言つぶやくだけのサービスだが、これが異様に面白い。
で、今日も『BRUTUS』を読んだ感想をツイート(つぶやくの
意)したら、なんと1時間後に編集・執筆された方からリプライ
(返答の意)していただいた。
これはTwitterによるところもあるが、インターネットがもたらし
たものだと思う。


何が言いたいのか。
ぼくが言ってみたいことは、インターネットが日常的に利用できる
なかった以前と今とでは、著者たちのと距離感が外国のような遠い
存在から近所にある著名人の家くらいの存在になっているというこ
とだ。
これは体験して思い知ったことだが、ほんとに、すごく、近い。
たとえボクのような人間の発言でさえ、発信者側の目に触れること
があるというのは、じつに驚くべきことだと思う(著者らの日常を
垣間見ることができることも)。
とすれば、当然ネット上でのつぶやき、あるいはBlogなどで自分の
意見を述べることは、 そのことを意識せざるを得なくなる。
もしかしたらあの人の目に触れるかも知れないから、ちゃんとした
ものを書かなきゃな、という感じに。
しかし、これは悪いことではないと思う。
むしろ文章を書くうえで、そのような読者を想定できるということ
は、文章の質を向上させるうえで最高のモチベーションになる。
そのモチベーションが自己能力を少しでも拡張・拡大していこうと
する動機を担保する「プレッシャ生成装置」になるから。
まぁ、そのプレッシャー(自意識)が、こうしてブログ停滞に拍車
をかけたりもするのだけれど…。