ウソつきは大人の役割:『ウソから始まる恋と仕事の成功術』


 「ウソのない世界」をご存じでしょうか。
 ご存じない?
 では、こちらを。



 この世界にはウソがひとつもありません。すべて真実で成り立っています。
 

「ハーイ」 
「ぼくはマーク。調子はどう?」
「不愉快だわ。今夜のデートも後悔してる」
「・・・そう」


 ウソのない世界はじつに残酷です。幸いなことに、ぼくたちの暮らしている世界は「ウソのある世界」です。ここまで本音をぶつけ合う、ド直球の会話はしませんよね。もう少しオブラートに包んだ言い方をします。
 代わりに、本音がつかみづらいというデメリットはありますが、精神の安らぎには変えられないと思わざるを得ません。
 いきなり不愉快とか引くわ!


 本作の原題は「The Invention of lying」、直訳すれば「ウソの発明」。
 この世界最大級の発明するのが、主人公マークです。


 ある日、マークの母親の病状が急変します。急いで母のもとへ駆けつけると、母は絶望していました。医師から真実をすべて伝えられていたからです。
 「(あなたは)体調が悪そうだし、心臓も弱ってる。脈も弱いし、血圧は急激に低下してる。今夜中に致命的な心臓発作を起こすかもしれないですね。やっぱり亡くなるでしょう」


 母は死を恐れます。


 「とても怖いわ、マーク。生きていると思っていたら、いきなり存在が消えてしまうのよ。あと数時間苦しんだら、永遠に消えてしまうのよ」


 どうしてよいのかわからないマークは、すこし考え込んだあと、母に向かって話しかけます。


 「母さん、ちょっと話があるから聞いて。死んだとしても心配することはないよ。消えたりなんかしないから。好きな場所に行けるんだ。そこには愛し愛された人がいる。若いときのように、走ったり踊ったりすることもできる。痛みもない。そこには愛がある。幸せもある。豪邸もある。それが永遠に続くんだ」
 

 彼女は安らかな表情を浮かべて亡くなります。
 これで泣かなきゃウソですよ。

  
 マークが母に向かって語っている言葉は、もちろんウソです。死を体験していない彼が、死後の世界を知っているはずがありません。 
 では、なぜマークは母にウソをついたのか。安心して欲しかったからですよね。
 医者から真実をすべて告げられ、突然の死をまえにした母は怖がっている。その恐怖を拭い去ってあげたい。少しでも心を安らかにしてあげたい。
 そうした母への愛情が、マークにウソをつかせます。

 
 しかし、ウソはウソです。真実ではありません。死後の世界に実際に行ってみたら、マークの言っていたものとまるで違った、なんてこともあるかもしれません。あの世でガッカリするかもしれない。
 もちろん、マークはそのリスクは承知しているはずです。天国のような世界があるとは思っていない。すべてその場で考え出した、真っ赤なウソであることを知っている。
 それでも、死を前にした母の心を少しでも楽にしてあげたい。そのためならオレは、その闇を、その責任を背負う。そうした愛情ゆえの覚悟が、マークの背中には見えます。

 
 ウソつきは孤独です。ウソだと知っていながら、みんなには「本当だよ!」と本気で言わなければいけない。この孤独を共有できる人は、ほとんどいません。
 でも、だれかがウソをつかなければいけません。不安な人を安心させるために、ウソという想像力を全開にして、本当だと思えるようなことを語らなければならない。

 
 ウソのない世界には、本当のことだけを語る「子ども」しかいませんでした。マークがウソを発明したことで、はじめて「大人」が誕生しました。
 大人とは、年齢や立場のことではありません。リクスや責任を承知したうえでウソをつく人のことを、ぼくたちは「大人」と呼びます。


 ウソがつけない子どものためにウソをつくこと。それが大人の役割なのです。