文章はサービス:『いますぐ書け、の文章法』 


 文章には読まれる文章と読まれない文章があります。
 そのちがいは何?
  

 ごくごく初歩的な国語の問題を除くと、ライターにはさほど高等な文章テクニックは必要ない。私個人はそう思ってる。現場に流れている空気も、それに近い。

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)


 意外ですね。プロとアマの本質的なちがいは技術じゃないんだ。
 だとしたら、いったい何?

 あなたは「何ものにも優先して、とにかく読者のことを一番に考えていますか」という問題なのだ。


 ズキンッとするなぁ。


 アマチュアは語りたいことを「どう表現するか」ばかり考えます。だから表現方法が優先され、読者への配慮は二の次になる。
 プロはまず、読者を楽しませ、驚かせることを考える。「どう表現するか」は二の次、三の次。

 
 ぼくはプロではなく、アマチュアです。ただし、志としては「プロ」のつもりです。読む前と読んだ後では、読者の何かを変えたいと思っているからです。わざわざ時間を割いて読んで頂くからには、何も変えることができない「アマチュア」のままでは申し訳がない。


 両者のちがいは、自己表現者であるかエンターテイナーであるか、とも言えます。
 ただ、不思議なことに、普段エンターテイナーである人が文章を書くと自己表現者になってしまうことがあります。
 普段は目の前にお客さん(友人や恋人や家族)がいます。お客さんの顔色をうかがいながら、話の運び方、テンポに気を配りながらしゃべることができる。でも文章を書くときは、目の前にパソコンしかいない。だからついつい独りよがりの文章を書いてしまうんでしょうね。
 あぁ、胸がいたい(笑)


 こんな罠に陥らないためには、想像上の読者をイメージするほうがよいそうです。その読者に向かって書く。読者を笑わせたり、驚かせたりすることをイメージして書く。そしてときどき、顔色をうかがってみる。

 その読み手は、それが豊かな表情を持っていて、彼女(この場合、異性であるほうが何となくいい)がつまらない顔にならないように、とにかくいまおれが持っている話題で彼女の気持ちをそらさないようにそらさないようにと書いていく。彼女の表情は茫漠としてよく見えないんだけれど、でも、感情だけは何となく伝わる感じで、とにかく彼女がつまらないとおもってしまったら最悪だから、次々と彼女を説得するためにいろんな比喩を持ってきたり、まわりまわって意外なエピソードを無理矢理くっつけたり、正面から攻め、脇からも迫り、冗談もすべろうとも次々に入れて、とにかく最後まで聞かせるために、いまそこにいる彼女に聞かせるために、いろんなものを動員していくばかりである。


 ここまでくると、芸人のようなものですね。
 読者であるお客さんが笑わせるために死力を尽くす。もし笑ってくれないなら、それは自らの技量不足を恥じて芸の腕を磨く。技術のためにではなく、お客さんの笑顔や驚きのために。
 文章は読者へのサービスなのだから。