『暴走する資本主義』


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もよろしく。
といったそばから恐縮なんですが、本日は『暴走する資本主義』の備忘録です。


暴走する資本主義

暴走する資本主義


というより問題意識を植え付けるためのメモ。
(自注:★・・・じぶんの感想・コメント)


・過去数十年間の間、資本主義は私たちから市民としての力を奪い、もっぱら消費者や投
資家としての力を強化することに向けられてきたということである。(p6−7)


・私は企業により社会的な責任を持つように働きかけることではこうした問題は解決しな
いと思う。ウォルマートが低賃金で従業員を雇い、医療保険を供与していないことを非難
することで感情的な充足感は満たされるかもしれないが、それがウォルマートに給与や諸
手当を抑制させ、顧客と株主にだけ「お買い得」をさせている力を弱める効果はほとんど
ないだろう。(p17)
★それは確かにそうだろう。「あんた最低よ」と素行のひどさを難詰された男が「おっ
と、これはすまなかった」と謝罪なんかしないしね。


・社会全体に及ぶ負の影響は、消費者や投資家にもっと「お得」な取引を提供しようとす
る熾烈な競争によって引き起こされる必然的結果なのだ。(p293)
★であるからして、消費者を満足させようとする活動それ自体を、われわれ「消費者」は
非難できない一面もある。悩ましい問題だ。
「消費者」としてのわたしはよいサービスや製品を手にしたい。企業側はその欲求をマー
ケティングで汲み取って商品開発に勤しむ。供給者はいくらでもいるから競争は必然であ
り利益を出すことはそう簡単ではない。企業がひっしになって商品のクオリティを高める
から「消費者」であるわたしはたいへん満足のいく買い物ができる。
が、競争すれば加熱すれば、粗利をすこしでも得るために、汚水を川に捨てる→身体に異
常が出て…という『エリン・ブロコヴィッチ』で取り上げられたような「負の問題」が
「市民」として生きるわたしたちに襲いかかってくる。
 

なんなんだ。この袋小路は…。
どうすりゃいいんだよ。
で、解決策ではないが、この関連で平川克美さんがたいへん賢いことをおっしゃっていた
ので、ちょっと引用しておく。
(年始に放送された経済の行方を識者らが討論する番組を見られていたようで、そのとき
のコメントがコレ↓。)

資本主義の高度化のなかで、
労働賃金の高騰と、飽和してゆく市場キャパシティなどによって、
経済成長の停滞(というよりは均衡というべきか)は必然的な結果である。
(中略)
「経済は成長させなければならない」「若者は元気で外に向かわなければならない」
という呪文に、囚われているかぎり、この間の金融破綻までと同じ文脈で思考する
ことから自由になれない。

問題は(これこそ問題というに値すると俺は思うのだが)、
文脈それ自体を変更するのかどうかということではないのか。
つまり、経済成長しなくてもよい、その代わりに何を指標とするのかということ、
内向きになることで、何が失われるのか、何を得られるのかを考え直すこと。


経済成長を続けるためには常にフロンティアが求められる。
売り物を売れる相手がいなければフロンティア(未開拓地)に求めるしかない。
「経済成長の停滞は必然的な結果」なのである。
だから他国に遅れまいと必死になって経済成長を目的にするんだけど、しかしここですこ
し立ち止まって、「っていうかさ、そんなに経済を成長させていくことってそれほど重要
なのかね」と自明視されている命題を問い直したほうがいいじゃないのかね、というご提
案である。
結論は当然すぐには出ないし、じっくり考えなくてはいけない問題であるが、経済成長す
ることだけを良きこととして追いかけるよりずっと賢いと思う。
ほんとに賢いひとは前提を疑うのだね。
勉強になったよ。