ハイデガーで読む→『ウォンテッド』

『ウォンテッド』(原題:WANTED)★5


●口うるい上司に意味があるんだかないんだか分からないようなレポート提出を迫られ、
同僚には彼女を抱かれている顧客管理係という職務に「オレはこんなことをしてていいの
か」とウェスリー(ジェームズ・マカヴォイ)は実存的な疑問をもっている。
しかし彼はこの状況を打破する。
どうやって?
これをハイデガーで読み解いてみる。

ハイデガーは、この集団による共同の企てを「運命」と呼ぶのです。それは、社会や民族
の生起であり、集団の運命です。「本来性」は、個人の次元であるよりまず、集団(民族)
の次元で快復されなければならない。それは集団(民族)の既存としての過去を引き受け、
それを、いまだ到来しない将来へ向けた新たな意味を与えるべく、ある覚悟をもって先駆
的に投機することです。個人は、こうした集団の「運命」を「宿命」として引き受けると
ころからしか自己投企できないのです。(『20世紀とは何だったのか』、佐伯啓思、p98)


 ウェスリーはフラタニティという集団の勧誘を承諾し、その組織の過去(将来「悪」を
もたらす者であろう者を先に駆除する)を引き受け、新しい意味(多数の人にとって住み
良い世界の創造)のために「オレはいままで何もしてこなかった」ことを悔い改め、腹を
くくって自己を暗殺者の身に投企することで本来性(自分のすべきこと)を獲得する。
 なんとなく人生を送ってきていた「頽落」(世界のなかにただ投げ出されている状態)
からの大きな成長は、だから共感を呼ぶ。
 オレはこのままいいのか、という懐疑は本来あるべき姿を求めるために万人が抱える絶
望的に超越しがたい難問である。逆説的にいえば、本来あるべき姿を志向する(ニーチェ
に言わせれば、「力への意思」)からこそ、現在の頽落状態が解決する日が永遠にやって
こないことに不安を覚え慄くわけである。
 青春ドラマ『フレンズ』では男女6人がアパートやカフェに集まって昼夜仲良く談話し
ている姿が描かれている。あの光景は独りの時間が長い人間にはとても魅力的に映る。い
つまでも言葉が途切れないあの喧噪の渦中に身を埋めたくなる。
 だがいつまでも笑い声が途絶えない環境に身を置いていれば、本来性を獲得することは
できない。みんなでわいわい楽しく過ごし、その場限りのやりとりをしていれば、いつし
か疑問も消える。そこに留まることは本来あるべき姿を未来へ先延ばしすることとのトレ
ードオフなのである。


●疑問がひとつ。
 謎の暗殺者(アンジェリーナ・ジョリー)の使者によって「じつはあなたのお父さんは
暗殺組織の一員なのよ。だからあなたも…」と超ラッキー(?)な契機をもたない人間に
は、どのような救いがあるのか。上司に「Shut the fuck up!」と啖呵を切って、彼女と
浮気してる同僚をキーボードでぶん殴ったりできるのも、父親の莫大な遺産を相続し暗殺
者という逃げ道があったからなんだし。カタルシスをたっぷり感じられてスッキリするし、
マカヴォイ君の行動がどのようになるのか未来は見せてもらえるけど、欲を言えばまった
く保険がない人間の振る舞いを見せてもらいたかったな。