『ハロウィン』

『ハロウィン』★4

モンスターとは、人を傷つけたり殺害するなどして人間社会の法を侵すものである。
また、あなたの気持ちを私はまるで理解できないという理解の及ばない者としての存在だ。
つまり理解不能な行動をするからモンスターなわけだ。
「あいつオカシイぜ。フツーあんなことできないもんな」
と動機をまるで理解できない人間を私たちはモンスターと呼称する。
だが、そのようにして呼ぶモンスターはシャリーズ・セロンの『モンスター』でも描かれ
ていたように、人間を超越した「悪」の塊のような存在ではそもそもない(快楽として犯
罪を犯す人は置いておく)。
あれは外部世界(自分以外の人)からの拒絶の結果である。
そう、モンスターは生まれながらにしてモンスターなのではない。
自助努力では越境しがたい壁にブチあたった末にモンスターになるのだ。
そしてそこには環境というファクターの大きく影響している。
マイケル(ダエグ・フェアーク)は学校でいじめられ家庭でも父や姉にバカにされている。
しかし我慢の限界を越えた彼は母親が夜の仕事にでかけたある夜、父親がソファーで寝入っ
ているのを勝機とみて、陰惨な行為に及ぶ。とても残酷な行為に。
もちろん、環境によって傷をおったからといってマイケルの罪が免責されるものではない
し、あってはならないだろう。世界がめちゃくちゃになってしまう。
だが世界から拒絶されていると思っているマイケルがモンスターとなっても無理もないか
もしれないなと少し共感してしまう。
そして、ここでモンスターとの観客は結ばれる。
つまりモンスターはわれわれ観客でもあるわけだ。
そしてある疑念が浮かぶ。
もしかしたらオレもモンスターになりえた存在なのではないか、と。
これはありえない話ではない。
ケネス・ブラナー版『フランケンシュタイン』を思い出してほしい。
フランケンシュタイン博士の手によって作りだされたモンスター(ロバート・デ・ニー
ロ)は、生まれ落ちてオギャーと泣く間もなく、創造主によって命を剥奪されそうになる。
あまりにも醜かったからだ。
美醜の判断は、その時代や各人の価値観や美意識によってなされるものであって、絶対的
美の基準というものはない。つまり自分の力ではどうにもならない、ということである。
個人は「今は大きな目がウケる時代だから目はクリクリの二重で肌がツルツルで」とマイ
フェイスを注文して選択することはできない。先天的なが大きく作用するものだしね。
こうした自分の力が及ばない先天的(遺伝的)要素が強く作用する世界において、個人は
無力だ。
過酷な世界だ
スタートラインからして不平等なのだから。
が、これが現実だ。
そして、モンスターと化した者たちと同じようにわれわれもそのような世界を生きている。
それが個人の自尊感情を奪い大きく傷つけ、ときにスポイルしたりする。
マイケルにはまだこの世界を生き抜く知恵がなかったのだ。
この陰惨でいてやるせない物語の落ち着く場所を観客は知ってる。
やはり悪は唾棄されるのだ。
そして生きる意味を喪失していたマイケルがわずかな救いを求めて妹に近寄り、しかし徹
底的に拒絶された挙げ句○○させられる姿は、あまりに切ない。


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