『ワルキューレ』

ワルキューレ』★2(原題:Valkyrie、監督:ブライアン・シンガー



ヒトラー独裁政権を反体制側が転覆させようとした史実を映画化したもの。
史実を描いているということは、革命が失敗するということである。
そこが映画の始発点。
だから、オチ(革命の成否)で魅せるのではなく、演出(どう見せるか)での勝負
になる。なのに、ブライアン・シンガーときたら。


・「実在した悪魔といえばだれ?」という質問をされれば3秒とかからず「アドル
フ・ヒトラー!」と多くの人が答えるだろう(何度も彼をモチーフとして映画化し
ていることが寄与している側面は見逃せないだろうけど)。
そのくらいメジャーな悪魔=ヒトラーに喧嘩を吹っ掛ける英雄役にトム・クルーズ
というあいかわらずの自己指名キャスティングであるが、いかんせん革命家の美談
としてなぜか盛り上がらない。
なんでだろう。
おそらくは過剰な(ハリウッド的)ヒロイズム以上に、圧政下の残酷さ・凄惨さが
盛り込まれていないからじゃないか。
ランボー/最後の戦場』では、軍人が虐殺=愉悦という狂った快の回路を有し
ているため農民を惨殺するという蛮行に及ぶ。で、キャッキャと子どものように悦
ぶ彼らの姿は正視しがたいほど歪んでいるように見えた。しかし、それゆえに観客
を容易く物語の中に引き込むことに成功していた。そこにおいて、軍サイドは抹殺
されるべき憎き「敵」になる。単純な構図として機能してしまう点で、善し悪しが
あるが。
だが『ワルキューレ』では、最初からヒトラーは唾棄されるべき存在である、とい
う前提がある。だからなのか史実だからなのか知らないが、観客を引き込むには前
提として知られているという条件だけでは明らかに弱い。
知っているのと体感するのは別次元の問題だ。
史実として見せている以上、物語を歪曲するわけにはいかないのだから、演出でど
うにか意匠をこらすしかない。
とすれば、トムがヒトラーの足下に爆弾をセットした瞬間、回想シーンを挿入して
(ここじゃもう遅いけど)ヒトラー専制政治の残酷さを観客に示し、当時のドイ
ツの世界観を観客に体感させるべきだったのではないか。であればこそ、観客も打
ヒトラーとして奮闘するレジスタンスに参加できるわけで。
そこに制作者の意図やメッセージはないのだろうけど、それくらいの配慮はあって
しかるべきなのではないか。


・クレームついでにもうひとつ。
片目を失うという負傷シーンの描写がなんとなくのメタファーで処理されている。
思えば上映開始10分と経たぬこの導入部から、すでに嫌な予感はしていた。
マスを対象としているから負傷シーンをメタファーで誤摩化して、暴力性を希釈し
たのかもしれないが、もう少し見せ方があったのではないか。
たしかに物語上重要なシーンではない。片目を失っていることを申し訳程度に説明
するだけのシーンではあるが、観客を物語の内部へと導く大事な序盤でこのぬるい
演出にはちょっと拍子抜けした。


・そんな本作の救いは、圧政を行なう権力に立ち向かう革命派が存在していたとい
う歴史的事実を知れることにあると思う。
つまりカラダで歴史を体感できること。
浅薄な自分は「すべてのものが絶望し屈服していた」とまでは思わないまでも、ほ
とんどすべての人がヒトラーの独裁政治の前に心が折れ、仕方なしに暮らしていた
んだろと思い込んでいたため、その偏狭な偏見の認識の呪縛が解かれた。
これが本作での収穫。
またヒトラー政権を転覆させようと命をかけて奮闘する人々を見ていて「人間は自
由を求める存在」なんだなとの認識も強めた。