『エヴァンゲリヲン新劇場版:破』

かなりネタバレしてます。
ご注意ください。


エヴァンゲリヲン新劇場版:破』★5 総監督:庵野秀明


大傑作。
前作より約二年の月日を経てようやく上映に至った本作は、新しいまったくエヴァ
ンゲリヲンである。


序盤、アスカが2号機に乗って空から落下してきて、使徒殲滅後、シンジに向かい
「あんたバカぁ〜」と啖呵を切るその科白をどれほど待っていたか。(みんな心で
拍手喝采したはずである)。
エヴァが帰ってきたことを、このとき強く実感した(感涙)。


物語は細部(三号機に搭乗するのがトウジだったのに、本作ではアスカになってい
る。絶句必死のシークエンス)がいくつか改変されている。
また90%以上新しいカット(ミサト宅でシャワーを浴びていた「アスカ」がペン
ペンに驚いて素っ裸で出てきて…というくだりやカメラアングルなど)が挿入され
たりして、基本的なプロットはおなじだが、ほとんど別モノである。
「序」を観て「ただの、再編集版じゃん」と失望した人の期待に応える、まったく
新しいエヴァに仕上がっていると実感されるはずである。


エヴァンゲリヲンが疾走するシーンや最強の使徒との格闘シーンなど、とにかく興
奮しっぱなし。
これらは形容しがたいので、ぜひ劇場で。


クラシック音楽を多用するエヴァのなかで、シンジが使徒との対戦中に挿入される
翼をください」や「今日の日はさようなら」など古い歌謡曲が流れ出すと、不思
議な印象を強く抱かせる。
これはかなり違和感がある。
が、違和感はおかしさではない。
それは戸惑い、に似ている。
なぜ、ここで、この音楽が流れ出すのか、という驚きに。
歌の歌詞の意味はとシンジの心境とを架橋し、あるメッセージを含み伝えようとし
ていると思うのだけれど、どんな意味が込められているのか、ちょっと分からない
(のだが、なぜか猛烈に感動する)。
しかし、いろんなブログを訪問していたら、あの曲はシンジが常備しているポータ
ブルカセットプレーヤーで聴いている25・26曲だったのではないか、という仮
説を主張している方がいて、なるほどと思った。
そして、あのプレーヤーは父ゲンドウのもので、父が聴いていたものだったのでは
ないか、とも書かれていた(ゲンドウのものだったのは事実。不明なのは、あの歌
を実際に彼が聴いていたかどうか、という点)。
これで歌詞とシンジの心境とを検討したら、庵野監督があのカットに込めた意味が
理解できるかもしれない。


特筆すべきは、ラストの戦闘シーンである。
物語のクライマックスはシンジがエヴァに乗る理由(実存的問題)を巡るもので、
彼がエヴァに乗る理由を苦悶のなかから見つけ出すくだりは、やはり感動的だった。
ただ、涙がボロボロ出た、というよりも、全身に4・5分間、ざわざわと肌がざわ
めきたっていた、といったほうがことの真相に近い。
頭で感動している、というより、身体で感動している、という感じ。
なにせ、理屈ではほとんどエヴァを理解できなかったもので。
それもそのはずで、年月が記憶を忘却させていているのに加え、「人類補完計画
エヴァの主題とはなんだったのか(後者は、そもそも理解できていない)、まる
で思い出せなかったから、頭でわからないのも無理はない。
当然ですよね。
しかし、理屈は分かってなくても、身体はちゃんと分かるのだ、ということを気付
く体験となった(一緒に観にいった友人は、自分と同じように物語のスジを理解し
ていなかったが、肩を揺らし、小さく泣いていた)。
すぐれた物語は身体に効く(@村上春樹)ようである。
というわけで、理屈云々はどうでもいい(そんなことは、あとからでも遅くはない)。
とにかく観てほしい。
僕はもう一度、理屈で理解するために、予習してから行ってきます。