『崖の上のポニョ



どうしたんだろう。
宮崎さんは大丈夫なのだろうか。
一年ほど前ポニョが劇場で公開されるまえに予告編をみた。
「これはまずいだろ」と冷笑してしまい、劇場鑑賞は見送ってDVD鑑賞にしたのだ
けど、あのとき直感的に抱いた印象は的を得ていた。


以下、ポニョのダメだし。


●物語(劇)がまったくない。
宗介がポニョと結ばれるために、試練を乗り越える成長譚を描くことが定石だろう
が、宮崎さんにまったくその気がない。試練を経て宝物を得られるのが物語、とい
うか神話の法則(@クリストファー・ボグラー)だが、ただボートに乗ってブラつ
いていたら、タダで宝(ポニョ)が手に入るという、経済学のもっとも基本な真理、
「世の中にフリーランチはない」を否定する結末になってる。
いいのか、それで。
宮崎駿の「世界」』では、宗介の責任の受諾が「試練」だというが、5歳の男の
子に、責任を負うということの意味、その重さ、覚悟というものを知らないんだか
ら「試練」になるはずがないよ。
宗介はポニョの父に「君の正体が半魚人でもいいですか?」と質問されるのだけど、
その問い自体が無意味。だって、彼はポニョの人間ヴァージョンをすでに知ってい
るのだから、どのような姿になるかは自明であって、「どんな化け物になるかわか
ならない」という不確実性はそこに存在しないんだから、それを問うこと自体愚行
といわざるをえない。
そもそも、承諾だけで「試練」って乗り越えられるものなのか。
そうじゃないでしょ。
宗介の脳裏によぎる恐怖心、その後に葛藤が襲ってきてさんざん苦悩し、行動に移
す。そこまでやって試練になるわけで、これのすべてが抜けているものは試練足り
得ないでしょ。
「試練」ってのは、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと」(@国
語辞典)なわけだし。


●キャラクターの動機が意味不明。
たいした用事もないのに、水で横溢し、水没している道路にズブズブっとリサ・カ
ー(リサの愛車の軽自動車)で突っ込んで行き、アクセル全開で辛くも突破し、す
ご腕のドライビングテクニックを駆使し、職場から自宅まで激走する母リサ。
しかし、子どもの命を危険に晒したこの無鉄砲な振る舞いの意味は、実はまるでな
い。
家でちょっとお茶したかったから、ってのが無理矢理引き出せるものとして妥当。
もっと意味が分からないのは、宗介とポニョを自宅に置いてリサの勤め先のデイケ
アサービスセンターひまわり家に向かうこと。
その必要性もたぶんない。
一日分の食料も置いてないとは思えない。
仮になかったとしても、一児の母親が幼い子ども二人(?)を置いて出て行くほど
切羽詰まった緊急事態が持ち上がっていないのだから、彼女が外出する必要性はこ
こには絶対にない(ってか、あったらマズいよ)。
物語の都合上、とそういえばリサがとった奇行は理解はできないこともない。
いちおうね。
が、それにしたってリサを探しにいく宗介とポニョの冒険は、なんの試練も葛藤も
ないんだから…(これについては既述した)。


宮崎監督は、すくなくともポニョにおいては、観客になにかを物語ることを放棄し
ているようだ。
ここで語られているのは、母親より大人な少年宗介がポニョとともに、ただ近所を
うろつくお話であり、ポニョが「宗介と一緒にいたい」というエゴ全開の物語だっ
た。
しかし、彼女の我儘のおかげで街の住人に確実に死者がでたはずだ。
少年少女の恋の成就は、ほそぼそと暮らす個人の命を奪うこともある、というよう
に問いを発展させるわけでもない。
オチてないんだよね、あれ。
物語の典型的な構造をあえて捨てたみたいだけど、どうも成功しているとはいいが
たい。
まったく。
どうしちゃったんだろうね、宮崎さん。


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