権力は人を愚かにさせる→『リア王』

リア王 (光文社古典新訳文庫)

リア王 (光文社古典新訳文庫)


数百年まえの文学がこんなに面白いのか、と驚かされる一冊だった。
「時を越えて読み継がれる名著」とかいう本を厳めしく飾り付けるための常套句には、そ
こに利権や権威主義的なものを感じ取ってしまって辟易させられるのことがよくあるのだ
が、この本に関してはとりあえずその言葉に潜む「おもしろいに決まってる」という裏メ
ッセージを信じてもいいかと思える。
いや、これはほんとおもしろかったです。


シェイクスピアによるリア王は、愚かな王が辛酸の時を経て慧眼の王となるお話である。
上の二人の娘は父のリア王の財産欲しさ美辞麗句を滔々と語り、王はそうかそうかと愉悦
する。
下の実直な末娘は心情(王への愛)をありのままに語り、王は憤る。
どちらが王のことを愛しているかは他人(侍従や読者)には明白。
だが、小さな頃からチヤホヤされてきている王には上の娘たちの言葉が真実に映る。
そんなのもわかんないなんてバカじゃないの、というのが読み手が抱く感想なのだが、冷
静に考えてみると王のバカさ加減もわからないでもないと思えてくる。
だって、王はウソの言葉しかいままで聞いてこなかったんだから。


王制(君主制)というシステムでは王が絶対的な権力を所有している。
だから王に隷属しているものたちは、どうしたって歯に衣着せぬ発言はしづらい。
歯向かったらどうなるかを考えれば、本音は口にしない方が賢明だから。
すると、いきおい、ご機嫌をとるような甘言を口にするようのが慣例になる。
「さすがリア王、頭脳も明晰でいらっしゃる」みたいな。
背筋にブルっとくる文句を口にするわけです。
このような甘い環境の中で人生を過ごしてきた王様にとって、甘い言葉を口にする上の二
人の娘の言葉が「真実」であって、末娘の言葉は「偽物」でしかないない。
だが、それが悲劇を生む。
娘の言葉に気を良くした王は、王としての権利を上の二人の娘達にすべて譲り渡すことに
する。すると、娘たちは豹変してとつぜん王を邪魔者として扱われるようになる。
すべては王という立場に彼らは跪いていたのであり、「私」という個人に敬愛を示してい
たわけではなかったのだということに、リア王はここでようやく気付くことになる(そこ
から警句ばかりを吐く慧眼の王に変化する)。


自己をある程度正しく見極め評価することと権力は、だから必然的に対立する。
絶対的な権力は人間をバカにさせてしまうのかもしれない。