ヒーローとシンクロする→『XYZマーダーズ』

XYZマーダーズ』★5 監督:サム・ライミ 

80年代の作品が内包するあの独特のトーンにこの作品もその例外となることなく
包まれている(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか)。
この頃の映画がもつこの雰囲気は、見ているだけで幸せな気分になる。
ああ幸せ。

『XYZマーダーズ』は、警備員をしているなよなよ男が美女に恋をし、彼女が偶
然に巻き込まれた事件(試練)を解決することで(乗り越えることで)、二人は結
ばれるという話。


女性の愛を獲得するためにダメ男がタフな男になる、というのはいつの時代でも作
られているが、ダメなものと成功しているものがある。
その違いはどこにあるのだろう?
ダメ男のダメっぷりに説得力があるかどうか。
これは重要な要素のひとつだ。
だいたいダメ男は会話の空気を見事に読み損ねる。
だから傍から見てると目を覆いたくなるような失言を頻繁にしてしまう。
もう、ほんと、痛々しくなるほどに、彼らは空気が読めない。
もちろん空気を読むことはかならずしもよいことではない。
けれど、女性に限らず人に好かれたかったら、空気を読んでその場に適した振る舞
い方をできることが求められる。
ん。
適した振る舞い方?
なんだそりゃ。
自分で言っておいてなんだけど、「適切」っていう言葉はヤな感じだ。
そんなもの、こうして偉そうに批判しているオレだってわかんないぞ。
まぁ、いいや。
話をすすめる。
空気を読み損なうダメ男は、きっと対人とのコミュニケーションの後に行われる仮
説形成プロセスが圧倒的に足りないのが大きな原因だ。
こちら側が発した言葉によって、相手がどのようなリアクションをするのか。
怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか。
自分が発したことばによって相手のうちに生じた感情を顔色や雰囲気から推測する。
そういったアクション→リアクションにおける仮説形成プロセスが単に少ないだけ
なんじゃないだろうか。
話がズレた。
もとに戻す。
ダメな男の説得力についてだった。
成功している映画は、ダメ男の行為が目を覆いたくなるようなものがひとつでもあ
ることだ。
この作品で言えば、ダメ男が一目ぼれした美女にバーで話しかけるシーンがそう。
彼女は遊び人の男に、心外にも少し心を引かれている。
しかし、それは大っぴらには認めたくない。
だから、強引に誘ってくる遊び人の誘いを彼女は微笑しながら断る。
でも、気は引きたい。
彼女は自分の目の前にいたダメ男(主人公)をぐっと引き寄せ、強引に彼の唇にキ
スをする。
もちろん遊び人を嫉妬させるのが目的だ。
でも、遊び人はとにかく女の人と遊べればいいのだから、美女のほうにはそっぽも
向かない。
ダメ男にキスまでして気を引こうとした自分の情けなさに苛立ち、彼女は憂さ晴ら
しにダメ男の頬をパチンと叩く。
しかし、彼には彼女の意図がまるでわからない。
「君ってキスしたと思ったら、ボクを叩いたりして、なんだか不思議な人だね」、
とか言ってたりする。
あぁ、もう。
なんでそうなるんだよ!
でも、それが映画的には正解。


本作は、現在→過去→現在という構成で作られており、冒頭の現在では主人公のダ
メ男が今にも電気処刑されようとしている姿が映し出される。
そして彼が看守によって処刑室に連行されている間に、処刑されるに至ったいきさ
つを観客相手に語るという形で話は過去に移る。
そして、過去にどんなことが起こったのか観客が知ったところで、カメラは現在に
戻り処刑される寸前の男の姿を映しだす。
すると観客の心には異変が生じる。
だんだん緊張感が高まっていくのだ。
なぜ緊張感が高まっていくのか?
おそらくダメ男が処刑されそうになっているからである。
しかし、なぜ処刑されそうになっているダメ男の姿に、ボクらは緊張しなければな
らないのか?
それは、2時間ほど彼の話を見せられたことで、観客の心の中で「殺されそうにな
ってるただの男」から、「顔見知りのヒーロー」に心理的な位置づけが変わってい
るからだ。
まったく知らない人間が殺されようが何されようが、僕らは強く同情することはで
きない。
痛ましい事件に心を痛めることはある。
が、我がことのように心を患い想うことはない。
僕らが自分のことのように気を配って心配するのは、ほんの狭い世界との間だけで
あり、そこに住む住人との関係性においてだけである。
この作品の製作者はそういった人間の心理をうまく理解し活かしている。
だから、ラストは「顔見知りのヒーロー」が処刑されてしまうのか助かるのかを
巡ったドキドキの展開にボクらは緊張してその顛末を見守ることになるのだ。
お見事。