資本主義は「悪」なの?→『キャピタリズム』


先日、マイケル・ムーアの新作『キャピタリズム』をみた。



ムーアがこの『キャピタリズム』のなかで夢想していたのは、


「資本主義、氏ね。オレたちに必要なのは民主主義だ」


というものだった。
ムーアは金融危機を引き起こし世界中に経済危機を招いた犯人、ウォール街や政治家や不
動産業者(債権を証券化して投資家に売っぱらって利ざやを稼いだ人)たちにインタビュ
ーしてまわり(彼らの答えは、資本主義*1ってのはね、法に触れなきゃモラルに反するよう
なことしたってOKなんだよ的なもの)、その後にリストラされた自動車工場の人々やサブ
プライムローンによって持ち家を手放すはめになった家族の惨状を映し出し、資本主義と
いう「悪」の打倒をスローガンに掲げる。
オレたちが求めていたのは、一部のものだけが圧倒的に金を稼ぎ、大勢のものが(なかに
は家まで失う人がでてくる)苦しむ社会じゃない!
ムーアは故郷のフリントを訪れ、神父のもとへ行く。
神父はいう。
「資本主義は悪です」
その気持ちはよくわかる。
人々の無知や希望につけこんで、勝てば官軍とばかりに不動産を転売して人々から金や家
を巻き上げる醜悪な富の保持者たちの顔、顔、顔。
少しは彼らにも罪悪感というものがあるのかなと思ってみていても、彼らがムーアに向
かって二言目に口にするのは「これがビジネスだ。これが資本主義だ」という無慈悲な言
葉。
その富の収奪戦に参加してもいない労働者は自宅を取り上げられ次の住む家も決まらない
まま追い出される。
こんなの見せられて、新自由主義*2を肯定する気になれるヤツなんていない。
観客の心は人を食いものにして私腹を肥やすくらいなら、オレはそんな競争に乗りたくな
いし、金なんて要らないね!という資本主義の否定に向かう。
というのがムーアの『キャピタリズム』での戦術であって、それは成功しているとおもう。


でもさ、とぼくはおもう。
資本主義の「悪」の側面にだけ焦点をあてるのってどうなのよ、と。
資本主義という経済システムが「悪」だというよりも、現状のシステムを悪用した奴らの
問題であり、それができちゃう、つまり規制する法がないということなんじゃないの?
たしかに資本主義は完璧な経済システムじゃない。
富めるものはますます豊かになり、貧しいものは自宅から追い出されるという惨状は肯定
しがたい。
しかし、資本主義にだってよいところはあるのだ。
職業選択の自由だとか、日に日に質が上がっていく高品質のブツが買えるだとかさ。
社会主義じゃこうはいかない。
だから、資本主義というシステムの問題はあるとしても、資本主義をぶっ壊せばいいとい
うだけでは、ちょっと安直すぎるし、そもそも解決案としても成立しないじゃないかとお
もうのだ。
そして、ムーアの資本主義の代わりに民主主義にしようというちょっと主張もおかしい。
資本主義は経済システムであって、民主主義は政治システムだ。
これらは対立しあう概念じゃない。
だから「民主主義がいいんだ」といったって、「じゃあ経済のほうはどうしましょ」とい
う問題は残されたままになってしまう。
そこら辺のおかしなところはたしかにあるのだけれど、アメリカで実際に起こっていたこ
と(企業が労働者に医療保険を掛けて、彼/彼女が死亡した場合、自らが金を受け取って
いたetc)を知れるのがいい。
その腐敗ぶりにはちょっと言葉を失う。
いや、マジで。

*1:簡単に言えば「できるだけ儲けるための経済活動」

*2:国家による経済への過度の介入を批判して、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する考え方。