物語ではなく音楽を→『パイレーツ・ロック』


前評判がなかなかいいので、『パイレーツ・ロック』を隣県まで車を飛ばして見てきた
(地元の映画館TOHOでは公開予定なし!まったく)。
じゃ、簡単な感想をば。




キャラクターの掘り下げ方があまあま。
たとえば、『ノッティングヒルの恋人』のリス・エヴァンスヒュー・グラントの家の同
居人)が超人気DJギャヴィンとして登場する。
彼はアメリカで大人気で、海賊ラジオ局は政府の圧力によって収入先である広告主の多く
が撤退していたため、ギャヴィンが広告主を取り戻す起爆剤となるはずだった。
で、ギャビンが来英後、ものすごい人気を博し広告主も戻ってきた。
彼が一言話せば、リスナーの女子高生からマダムまでが「あぁん」と嘆息を漏らすという
構図(うらやましいですな)。
でもね。
それは物語内での話であって、物語外、つまり観客はまだ「ほんとかよ」と疑ったままな
のだよ。
だって、あのリス・エヴァンスだからね!
「ノッティングヒル〜」じゃ海水用メガネとスーツを着て、自宅をふらふら歩いているよ
うな男だったからね、彼は。
観客はあの強烈なイメージを拭えないから、物語内で超人気DJだと言われたくらいじゃ
了解できない。
脚本家は物語外の俳優のイメージ(彼の他の出演作)というものを勘定に入れて、物語内
で彼を超人気DJとして描く必要がある。
だから、本来ならギャヴィンが登場後に物語内の人物(中学生やらマダム)じゃなくて、
観客を説得する描写が必要のはず。
どうして彼が超人気DJなのか。
人気の所以を示さなきゃいけないのではないか。
でも、それがない。
あの物語内と物語外の人物(登場キャラと観客)をともに「そうだよね」と説得する演出
が必要なのにそのシークエンスがない。
この作品では、物語内のキャラたちだけである種の前提が共有され(たとえばリス・エヴァ
ンスはスゴいDJだ)、物語外のぼくらにはそれがされていない。
だから、彼らがちょっと知恵遅れの仲間のDJを「バカだね、おまえはw」とかいって笑
いものにするシーンがあるんだけど、その前提(彼が愛すべきバカであること)をこちら
は共有できていないから、埒外からその船の出来事を見せられているようで、なんかイヤ
なヤツらにみえてしまう。
おまえら、失礼だろうよ、と。
物語内の前提(バック・グラウンド)を共有することができなければ、観客はただの見物
人にしかなれず、幕が閉まるまで冷めた目で見続けるしかない。
物語の内部への入場を断られちゃね。
そこが欠点。


敵が敵になってない!
もうひとつの大きな欠陥が政府が「敵」として機能してないこと。
海賊ラジオ局をブッ壊したいと願うステレオタイプの官僚がひとりいる。
彼は海賊ラジオ局をどうしても壊したくて、その仕事だけをさせる部下を呼ぶ。
こいつがなかなか頭がキレる役どころで(実際はそうでもない)、問題点の発見→解決案
を進言→作戦実行、というかたちで仕事をしていくんだけど、問題なのはその仕事のシー
ンがないこと。
二人の会話から、結果だけが知らされる。
もっとも酷かったのは、
部下「あいつらの船を潰すための急所を見つけました」
上司「うむ。よくやった」
部下「ではさっそく実行します!」
との会話のあと、海賊ラジオ局のシーンになり、そこからこの二人のカットに戻ってくる
んだけど、いつのまにかその急所攻撃作戦は終わっている。
急所がどうのこうのという話はどうなった?
これだけでも「えぇ〜〜!!」というかんじなんだけど、どこが急所だったのか、その後
まるで説明もされない。
上司も「この馬鹿者が」とその場で失敗にたいして怒り散らすが、その後はそのままス
ルーしてしまう。
これはほんとに酷い。
だったら急所作戦そのものがいらなくね?
万事がこんな調子であまりに政府がバカだから、ラジオ局におよぶ脅威が感じられず、テ
ンション(緊張感)が高まらず、あいつらが襲ってきたって海賊ラジオ局は助かるのだろ
うと観客は物語より先に安堵してしまうのだよ。
敵対者が本当の意味での敵対者でない限り、英雄(つまり海賊ラジオ局のことね)は英雄
としてたりえない。
こいつらには絶対に叶わない、という徹底的な絶望があって、その後に「でも、俺たちは
負けない」的な蛮勇を英雄側が見せるからこちらは感動するんであって、敵がマヌケのま
まじゃ心が震えるわけがないじゃないですか。
だから、ラストの緊急事態時に船長(?)であるフィリップ・シーモア・ホフマンの(本
来なら)感動的な演説が全然心に響かないという残念なことになってしまってる。
期待していただけに、これはすごく残念だった。


っと、ここまで散々脚本をけなしてきたけれど、ひょっとしたらこの映画はおそらく物語
を語るための映画ではないのではないか、という考えが浮かんできた。
話をひっくりかえしてしまってすまない。
しかし、物語の欠陥を叩くことは、この作品においては重箱の隅を楊枝で穿るようなもの
かもしれない。
というのは言い過ぎにしても(笑)、この映画は物語ではなくおそらく音楽を聴かせる映
画なのだと思う。
ある曲が流れ、その歌詞を説明するように物語が進行する。
物語はその歌詞の意味を表現するために存在する。
ホフマンが演説後にターンテーブルを回し『Wouldn't It Be Nice』(@ビーチボーイズ
が流だすくだりはとてもよかった。
おそらくこの映画の脚本は、音楽(ロック)がまず先に選ばれ、それを説明するように脚
本が書かれていったという順序で出来上がったのではないか。
本作においての物語はそれを運ぶヴィークル(乗り物)なのだ。


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