精神異常者とはオレたちのこと→『シャッターアイランド』


注意 :オチに触れてます。
    というか、オチだけを語ってます。
    「それが何か?」という奇特な方だけお読みください。



もう事前に予告編見たくないです。
なぜなら、予告編には重大な「手がかり」が示されていたから。



1 脳科学者の池谷裕二さんによる説明。
  曰く、
 「脳は自分に都合の良い方向に解釈します。
  今あなたがみている世界は、脳が都合よく作り上げた物かもしれません。」


2 ディカプリオが、何かの事件を捜査しているようにみえること。


もうね、これだけで十分すぎるヒントになってますよ。
2が「ヒント」だというのは、「Who」という問いの答えになってるから。
映画は「誰か」の視点によって語られるものじゃないですか。
スパイダーマン』だったらトビー・マグワイアだし、『スペル』だったら
汚いばあさんに追いかけられる女の子ですよね。
つまり映画は「誰か」の視点から語らないことには、映画として成立しない。
ある視点から語ることによって、一貫性が生まれ、ドラマが成立します。
その視点の一貫性を欠くと、ぼくたちは映画をうまく捉えることができない。


で、2です。
予告編ではディカプリオが何かの捜査をしていることが分かります。
ようするに、「この映画は誰の視点からの物語なのか?」という問に対する
答えになっているんですよ。
だから、この映画はテディ(ディカプリオ)の視点から語られた物語であ
る、ということは、すなわち彼が自分にとって都合のいいように世界を解釈し
ていることがわかってしまい、それは映画のオチに激しく触れていることに
なる、というわけです。
だから予告編はもう見たくない、と語気を強めて言ってるわけです。
でも、まぁ、見ちゃうんでしょうけど。


じゃ、映画のオチですが、さっさと申し上げますね(!)。
端的に言えば、


「精神異常者とオレたちとを隔ててる分水嶺なんてものは曖昧だ」


ということです。
いや、スコセッシの主張はもう少し穏やかなものでしょうね。
でも、この映画を観て、自分とテディとの類似点を見つけられないこと
はないでしょうから、まぁ、


「キミ(たち)も、あの収容所に入れられている人たちとおんなじだよ」


と解釈したって、別にムリはないとおもうんですよ。


FBI捜査官であるディカプリオがシャッターアイランドにある収容所に行方
不明になった人を探しに行くってのが話の筋ですが、そこに閉じ込められて
いる人々は、現実と仮想との区別がつけられなくなった人たちって設定なん
ですね。
そこのお医者さまは彼らを「精神異常者」とカテゴライズしている。
つまりこの世には常人と精神異常者の2タイプの人がいる、といってるわけ
です。
で、テディは捜査していくんですが、終盤で自分が都合のよいように世界を
解釈していた、物語を頭の中にでっちあげていた、ということに気づく。
スコセッシの狙いはそこにあって、テディの視点から語り、観客をテディと
一体化させることで、その枠組(「精神異常者」)を観客までに拡張するわ
けです。


「現実と仮想の区別がつかないのは彼らだけじゃなく、キミたちも一緒だよ」


嫌なおっさんですね(笑)


先日、ぼくはテディとおなじような体験をしました。
ファミレスで食事をし、会計を済ませにレジカウンターへいったときのこと。
カウンターで店員さんがくるのをまっていると、ひとりの若い女性が出てき
ました。
彼女は、


「950円になります」


と事務的な口調でいいました。
ぼくは言われたとおりに1000円札を出して食事代を支払ったんですが、
その時一瞬その女性がうっすら笑ったんですね。
笑ったといってもほんの一瞬の出来事で、それも口元がかすかにゆるんだか
な、くらいの注視していなければ見逃してしまうくらい、ほんとにささやか
な笑い方でした。
でも、十分すぎるんですね。
世界を(彼女の行動の原因)を解釈(推測)には。
当然ぼくは、


「ふふふ。なんだよ、オレに気があるのかよ」


とちょっといい気になったわけですよ。
いや、「かなり」ですね。
もう有頂天ですよ。
あんな可愛い子に惚れられてラッキーみたいなもんです。
で、会計を終えて、帰りに喉が乾いたんでコンビニによってボルビックを
買ったんです。
そのとき気づいたわけです。
さっきの彼女の微笑の理由が。
なぜ気づいたかというと、5000円札がなかったんですね。
本来入っているべき5000円札がなく、50円しか財布にはない。
そこでさっきの笑顔です。


あーーあ、あーーー!!あーーーーーーー!!!
絶望した!
世界に絶望した!


って、まぁ、ぼくの愚かな思い込みが原因なんですが、あのときはもうほ
んとに恥ずかしくて死にたくなりましたね。
オレ、何恥ずかしい勘違いしちゃってんの、ってかんじで。
思い出すだけで体中がほてってきちゃいますよ!
ったく。


というのは、半分冗談ですが(実際にあった話を多少脚色してます。でも勘
違いはホントw)、このように脳は「自分に都合のいいように世界を解釈」
してしまうわけですよ。
だって、「ひとりの若い女性」から「可愛い女の子」に「惚れられた」に
なってるわけですから。
もう、すごい飛躍(笑)。


この映画はそういう映画です。
「あなたは世界を都合よく解釈しているとは思ってはいないけれど、実はあ
なたはそれを知らぬ間にやっちゃってるんだよ」という映画。
してみると、精神異常者と常人とを区別する「現実」と「仮想」を認識して
いるかどうかなんて誰がわかんだよ、という話になります。
だって「知らぬ間にやっちゃってるんだ」から。
これは、その現実と仮想のあいまいさを、その分水嶺の判断がとても困難な
世界を眺め、解釈し、もう一つの世界を脳のなかで作りあげて生きている人
間(ぼくたち)という存在を映画という鏡に映し出す、そんな映画でした。


参考図書:

つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?

つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?

単純な脳、複雑な「私」

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