責任を引き受けることで大人になる→『アリス・イン・ワンダーランド』



見てきましたよ。
ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』。
じゃ、簡単に映画評をば。


ざっくりいうと、少女が「ワンダーランド」を旅して、大人になって「現実
の世界」に戻ってくるという話。
この作品で問われいるのは「決断」ですね。
ワンダーランド(命名者:アリス)での冒険が終わり、夢の世界に留まるか、
現実の世界へ変えるかの選択を迫られた瞬間チラッと期待したけど、やはり
彼女は「帰る」ことにした。
アバターのような終わり方にはならないか*1、と彼女の決断する姿をすこし
残念に思いながら、しかしそれもこの物語の必然かとも思った。
なぜなら、アリスは現実の世界に帰らなければ、この物語は終わることがで
きなかったから。


終わることができなかった、というのは序盤で設定されていた問いに対する
答えにならないから、という意味ね。
というのも、物語の序盤でひとつの問いが設定されるのですよ。
その問いとは、自らの意志でモノゴトを決断することができるか否か。
これは大人になることができるか否かという決断の瞬間でもある。


物語の序盤、アリスは貴族のアホ男(ほんとにアホにしか見えない。どう
やって見つけてきたんだ?wwという男)に大勢の知人に見守られるなか求
婚される。
しかし突然の求婚に驚き、答えに窮したアリスは婚約パーティー場から逃げ
てしまう。
決断からの逃走。
それは大人になることから逃走しつづけることでもある。
彼女がワンダーランドでの冒険を終えて獲得してきたのは、自らの意志で決
断をすることのできる力である*2
その獲得を示すように、「大勢の人々に見守られるなか」決断を下すという
求婚された時とまったく同じ構図のカットが挿入されている。
ここで彼女の成長、つまり決断を下す人間である「大人」になれたことを表
現している。


自らの意志で決断をすること。
これはアリスが「ワンダーランド」を「夢の世界」だと自分に言い聞かせて
いたことと関係している。
アホ男からの求婚から逃れ、その先で見つけた白いウサギを追いかけ、ワン
ダーランドに迷い込んでしまったアリス。
アリスは「これは夢の世界の話だわ」とその世界におかれた自分に言い聞か
せるように何度も口にする。
夢の世界とは、どうなってもいいやの世界である。
夢から覚めれば、すべてはリセットされている。
インビジブル』でケビン・ベーコンがやってみせたような、悪行(覚えて
ます?w)だって、夢の中でのできごとならば、朝にはすべてがチャラにな
る。
それはそれで素晴らしい世界だけど(笑)、そこには決断する覚悟というも
のが要らない。
覚悟なき決断には、責任がない。
責任がないなら、覚悟ある決断はない。
決断するとは、自らの人生の責任を主体的に引き受けること。
それが大人になることの実態でがないか。


では、どうやってアリスが決断することができるようになったのか?
彼女は何かに「コミットすること」で次第に獲得していく。
では彼女は「何に」コミットすることで大人へと変わる契機をつかんでいっ
たのか?
それはスクリーンでご確認を。
いまさら口を閉じても仕方ないですけど、語りすぎるのは野暮ですからね。


あぁ、しかし、いやな話をしている。
こうした人が大人になるお話は耳が痛いですね。
自分がまだ「子供」だから、「大人」になってしまった彼女をみていて、
ぼくはすこし寂しかったんです。
なんだか自分だけが置いてけぼりをくらった感じがして。
おなじような体験は、それこそ数えきれないほど何度も体験しているわけで
すけど、なかなか痛みを感じないタフな人間にはなれませんね。*3
というわけで(笑)、この作品は「子供」の観客には「大人」になることの
手順を教えてくれる教育的な映画でもありました。

*1:http://bit.ly/cm1SQ8

*2:まぁ、その成長した姿には難ありだと思う。そこはさっさと片付けたかったんでしょ?>バートン監督

*3:←だからこんな曲を聴くとじ〜んときてしまうわけです