「体の声を聴け」


長いあいだ更新せずにすみませんでした。
いろいろと忙しかったことと、パワーアップのトレーニングをしている最中
で、なかなか映画批評がなかなか書けなくて…。
と、エクスキューズはこのくらいにして、ネタが入荷したので、本日はそれ
について書きたいと思います。


いま『いつまでもデブと思うなよ』というオタキングの本を読んでるんです
が、この本の7、8章に面白いことが書かれてました。
それをぼく的に言い直すと


「体の声を聴け」


になります(協力多謝>村上春樹先生。笑)。
というのも、これ、すごく実用的なアイデアだと思うんですよ。
では、そこんとこを少し敷衍してご説明しますね。


ぼくらが何かを欲望するときって、頭をつかってますよね。
使うのは体ではない。
体は欲求のサインを発するもの。


「そろそろ、腹へったんだけど」


みたいに、その体の所有者に必要なものを知らせしてくる。
でも、欲望はちがう。
欲望は頭のなかでするもの。
欲望に関して有名な知見を残しているのは精神科医ラカンですかね。


そのラカンの解説書を書いているラカニアン(とラカン信者を呼ぶそうで
す)の斎藤環さんは、自著『生き延びるためのラカン』のなかで、


「欲望は自分の中から勝手に芽生えてくるものじゃない。他人にもらうもの
だ。」


といってます。
なんか小難しいことをいってるわけですが、ようするに僕らの持っている欲
望というのはオリジナルなものではぜんぜんなくて、他者が欲しがっている
ものを欲しがるのだ、ということですね。
他者が、


「なんか無性にガリガリ君が食べたくなってきたなぁ」


とかいうから、ぼくらはガリガリ君が食べたくなる。
それは他者が欲しがっているから、という理由だけなんですけど、どうして
もその欲望を止められない。
欲望って、その手のものですよね。
ブランドもののバックをみんなが欲しがるのは、それがみんなが欲しがって
いるものだから、というトートロジー的な理由と一緒。
つまり、循環しているんですね。
で、欲望とはこのように頭のなかで行われるものなんですよね。


それと対称的なのが体。
体は足るを知っている。
体は必要な分だけを教えてくれる。
ぼくはこれを真実だと思うんです。


「いつデブ」のなかでは、ダイエット法のひとつとして、体に話しかけてみ
る方法が紹介されてます。
体に話しかける、というと、なんかオカルト先生(最近、TVで見かけなく
なりましたね)のアドバイスみたいですけど、これほんとに使えるんですよ

食事しているときに、


「まだ食べれるかな?」


と体に満腹度に関する質問すると、


「もう、いいかな」


とか


「もう、キツイですわ」



ほんとに返事をしてくれます。
いやマジで(笑)。
耳(というより、意識)をすませると(集中させると)ほんとうに分かりま
す。
これって、すごいことですよね。
体はぼくらの質問にたいして答えを返してくれるんですよ。
そして、ぼくらはその声を聴くことができるんですよ。
スゲーー!


そして、この体への質問ー返答の方法は、いつのまにか過剰になりがちな頭
の欲望を抑制することにも使えます。
頭のなかで暴走する欲望ってのはですね、たとえば夏物の洋服が欲しくなっ
たんで買おうとするんだけども、いざ質問してみると実は人が欲しがってた
から欲しがっていただけだった、みたいな話です。
これが欲望というものです。
他者があるモノを欲しがっているから、ぼく/わたしも欲しい、という形を
とるものなのです。
とはいっても、です。
もちろん欲望をすべて否定する必要はありません。
個人的な成長などは、他者へのあこがれを通じて獲得されていくものだから
です(これについては、内田樹さんの『先生はえらい』で学べます)。
欲望だって必要で大切なものです。
つまり、どちらも大切。


長くなってきたのでまとめます。


体に質問をしてみよう。
体はぼくらの質問に正直に答えてくれる。
体は暴走しがちなぼくらの頭を冷静にさせてくれる。
「体の声を聴け」というのは、そういう意味です。


いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

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風の歌を聴け (講談社文庫)

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生き延びるためのラカン (木星叢書)

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先生はえらい (ちくまプリマー新書)

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